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ムーミンパパ海へいく(1) パパたちに捧げる物語

パパたちに捧げる物語(ムーミンパパ海へいく)


ムーミンシリーズ、は最初のアニメ版(1969-1970)放映のころから好きでした。当時はご他聞にもれず、ミイやスナフキンがお気に入りでしたが、後日、書籍としてシリーズを読み返すと、それぞれのキャラクターが悩みながら生きている、それこそ「ちりとてちん」のような、大人向けの物語であることに気づきました。

ムーミン谷では、みな特に定職というものはないのですが、例えば、ムーミンパパは、回顧録を書くのが趣味という人物?設定ですが、ある日以下引用のように自分探しを始めてしまいます。

ムーミンパパ

ムーミン谷へようこそ (富原 真弓著)より

八月の終わりのある午後のこと、ひとりのパパが庭を歩きまわり、自分は無用の長物だと感じていた。なにをすればよいのかわからなかった。やるべきことはすべてやってしまったし、さもなければ、ほかのだれかがやっている最中だったからだ。「ムーミンパバ海へいく』はこんな出だしで始まる。のっけからパパの所作のなさそこはかとなき挫折感が描かれる。「ムーミンバパが」ではなく「ひとりのパパが」という距離をおいた言いまわしは、おそらく、この本の献辞の「あるパパヘ」に呼応している。これはパパー般に捧げられた物語なのかもしれない。

でしゃばりではないが肝心なときには頼りになるママ。そこぬけに楽観的でどんな面倒なことも楽しくやってのける才能のあるママ。もちろんママはことあるごとにパパをたてるし、みんなもパパが大好きだ。それでも、ムーミン谷での生活がママを軸に営まれていることは否めない。

だれもがはんとうに頼りにしているのはママであって、この自分ではない。そうムーミンバパは感じ、おそらくは根拠のない疎外感に悩む。この自信喪失の一歩手前で悶々としているムーミンパバの姿に共鳴する〈パパたち〉も少なくないはずだ。その意味で、とりわけこの本はおとなのため、もっといえば、世のパバたちのために書かれたといってもよい。

ババ自身にも、自分かなぜ怒っているのかわかってはいない。一入前のおとなにしては子どももっぱいところがあるが、単純に子どもっぱく振るまうには分別がありすぎる。だから、怒りを爆発させたくてもできずに、じめじめと内向してしまう。ムーミントロールもママもパパの態度にびっくりはするが、そのうち収まるだろうと呑気にかまえている。パパがときどきわけもなくメランコリーになるのは、いまに始まったことではないからだ。ただ、ちびのミイだけがことの深刻さを見ぬき、怖るべき洞察力を発揮して、こう、言いはなつ、「怒るんなら怒ればいいのよ。だれだってときには頭にくるし、どんな小さな生きものにも機嫌を悪くする権利はある。だけどパパの怒りかたはまずいわね。ぱっと表に出さないで、うちにこもってしまうんだもの」。

moomin2.jpg

憂鬱なる党派「高橋 和巳著」の主人公のように、ある日、褐色の憤怒を持って、ムーミンパパは住み慣れたムーミン谷を離れ、一家をつれて灯台のある島に移り住んでしまいます。


やがてミイの言葉が呼び水になったかのように、物語はあたらしい展開を迎える。なに不自由のないのどかな谷の生活を捨てて、水平線もはっきりしない、はるか沖にぽつんと俘かよ孤島に、家族のみんなを引きつれて移リすむというパパの決意を生む。ムーミンママの領分であるムーミン谷を離れ、ムーミンパパの領分(であるはず)の犬海原に乗りだすことで、もう一度、パバとして、個人として、いちから生活をたて直そうとしたのである。それは、穏やかなムーミン谷で日々失われていく上うに思える自伝と誇りを取りもどそうとする、ムーミンバパー世一代の賭けであった。

でも、そこではムーミンパパが一家の主たる指導力を発揮しようとしても、ママはなじめず、自分の世界に入り込んで生き、一家はばらばらになって行きます。

しかし、なれ親しんだムーミン谷ならいざしらず、島と灯台の生活にとけこめないムーミンママの心に、自分はなんのためにここにいるのかという疑問が忍びこんでくる。だいたい、なぜ母親だけがなにか特別な存在のように貼なされるのか。家族がみんなばらばらに好き勝手に暮しているのに、なぜ自分だけがいつも変わらぬムーミンママ」でいることを求められるのか。ほとんど自分を必要としていないかのように振るようババ、所在もつかめないムーミントロールとちびのミイ。島に来てみるみる変わっていく家族の関係を見直すうちに、ムーミン谷では考える必要すら感じなかった疑問がおいてくる。自分にとって家族とはなにか、妻であるとははであるとはどういうことか、そもそも自分はなにものなのか、という。古くて新しい問いである。その意味で、「ムーミンババ海へいくは、ムーミンパパのババとしての威信回復の試みの物語であると同時に、「根っこから離れて漂いだす」島のように揺らぎだしたムーミンママのアイデンティティ再発見の物語でもあるといえよう。

moomin3.jpg

公式サイト
http://www.moomin.co.jp/

初期アニメ ねえ!ムーミン
http://www.youtube.com/watch?v=8Jb3X1eIEaw&feature=related


「ムーミンパパ島に行く」では、家族はムーミン谷に戻らず、ここでの生きかたをそれぞれ違うやりかたで見つけだそうとします。私のブログも古い話が中心でまるでムーミンパパの回顧録のようであり、また休日もやるべきことを探すという、ムーミンパパに近い所在感のない状態ですが、温故知新でふと気がつくなにかがあればと思います。
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