ちりとてちん(7) 大団円近し ついに大団円に近づいています。 本当のヒロイン(と思っている)小草若もやっと草若邸に戻ってきました。一番最初に抱きついたのは草々でした。草々は小草若の落語に対する親譲りの潜在能力は認めているにもかかわらず、小草若が「愛宕山」を高座にかけるといったときに、あからさまに見下していたように落語については、自分のほうが上だと思っていたのでしょう。でも、自分が師匠と血のつながりがないことで疎外感を持っていたのとおなじように、血筋から当然、落語に対して天賦の才能を期待されつづけてきた小草若の重圧にも遅まきながらやっと思いを馳せることができて、戻った小草若に対して、自分が師匠にされたように飛びつかせたのでしょう。 
四草は、当初はこらえていたのでしょうが、草原にいさんから目で問われ、万感の思いを込めて「小草若兄さんは、底抜けのアホです。」と飛びつき、兄弟弟子で固まって号泣します。またまた連れ戻しに成功した、若狭は集団の中に行きませんでした。草々のときには飯場で「大丈夫、私がついている」と言い切っていましたが、小草若の場合は喜代美の窮地に自ら覚醒します。やはり夫婦と兄弟弟子との違いで小草若に対してはその程度の思いだったのでしょうね。
最終週ちかく、ツボにはまるシーンも色々。 小次郎も当選した宝くじがで奈津子さんには内緒で五木ひろしを呼んで、あとで奈津子さんにばれますが、「私が文句言うとでも思うたんですかね。そんな了見の狭い女やって思われてたんやろか思ったら、何か腹立って」と結婚資金に使わないで出演料に使ったことを咎めず、黙っていたことのほうを責めるのも良かった。小次郎おじさんはフリーターでも結婚できましたが、このカップルだったら緒方姓でも良かったのでは? 
A子が過去の確執に対して詫び、塗り箸の修行を願い出た時に「わしは、秀臣さんに9年も塗箸教えてもろたんやで」と了解するシーン。人生のうちの最良の期間の何分の一かも費やした、重みを理解した言葉でした。
常打ち小屋のために、常連さんや小浜の和田家(お金はなし)が浄財を持ち寄り、それでも足らずに小草若が草若邸を売る決心をし、その前に青空の下で最後の落語会を師匠達を含め皆で笑いころげるシーン。それぞれ、笑いと涙が一緒にこぼれるどれも素敵な場面でした。 
それなのに、 最終日には、若狭は落語を止めておかみさんか母親業に専念する雰囲気です。同時に複数の仕事をこなせないと悟っている不器用な主人公が、自分で決めたのでしょうが、10年以上、一人前になるまで、暖かく支えてくれた兄弟子や周囲の人々の期待、あるいはいっぱしの落語家が突然いなくなることに対し、どう思っているのでしょう。 「おかあちゃんみたいになりたい」は、専業主婦でなくても可能だと思われます。最後の結末はわかりませんが、「結局、女は家に帰るべし」という、ありきたりの場面は見たくありませんね。 「他人にライトを当てることもすばらしい」かも知れませんが、所詮、アルバイトできた草原の息子でもできる仕事、他人のできない努力を積み重ねて、高みに到達したものには光を浴びる責任と権利があると思います。 覚醒と聞くと、稀代の奇書 狩々博士著「 ドグラ・マグラの夢 覚醒する夢野久作」を思い出します。その話はまたいつか。 テーマ:ちりとてちん - ジャンル:テレビ・ラジオ
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