These foolish things

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スクラップブック(2)

スクラップブックから2編を


ヨットレースと野球の話題ですが、それぞれ生身の人間が自分の存在をかけて取り組んでいます。データから勝つためのゲームをする世知辛い生きかたでない、全身全霊で生きた人間たちです。最近ではあまり見かけない斜めに構えない不器用な生き方です。覚えている人は少なくとも「どう勝ったかではなく、どう生きたか」です。


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黒岩徹の世界を覗く
勝負に負け、レースに勝った男(1997.04.09毎日新聞)




昨年11月から今年3月にかけて行われた単独無寄港世界一周ヨットレースには、人間性に深く触れるドラマがあった。フランス西海岸から出発したヨットが南太平洋を進んでいた昨年12月末、英国から参加した元海兵隊員ピート・ゴス(35)は、参加者のフランス入ラファエル・ディネリの救援を求める声を無線で聞いた。消え入るような声から命の危険を察知し、直ちにレースを投げ出して、高波の中を200キロも戻ったのだ。10年来の夢だったレース参加のために家を売り、8万ポンド(約16O万円)の借金までつくったにもかかわらず。


はたしてディネリは、ひざまで水につかり、沈没寸前だった。低体温で脱水状態だった彼に、ゴスは4時間置きにスープを飲ませ、動けない彼をバケツの上に引き上げて用便までさせた。12日間彼を助けながらレースを続け、豪州タスマニアのホパート港近くで彼を降ろし、そのまま西へとョットを駆った。今年3月初め、126日ぶりに仏西岸の出港地に帰港した。優勝候補だったが助けに戻ったために遅れ、5位となった。どこの世界にも官僚的人間がいるものである。「ゴスは、航海中他人を乗せたから失格」「彼だけを例外にするのは不公平」としてその単独無寄港世界一周記録を認めるべきではないと主張する本部の小役人がいたのである。


だがレースを捨てて仲間の命を救ったピート・ゴスにフランス人が黙っていなかった。ゴスを3月末レース出港地レサーブルドローヌに招いたのだ。世界一周したヨットが港に着いたとき、助けられたディネリほか、10万人の観衆が出迎えた。レース優勝者が帰港したときの2万人をはるかにしのぐ人々だった。「偉大なるピートが帰ってきた」との顔れ幕が下がり、群衆は「ピート、ピート」と絶叫した。ピート・ゴスが、レーースに負けて、レースに勝った瞬間だった。
ゴスを迎えたディネリは、「ピートは肉体的精神的に強い男だ。英国のライオンである。一方で優しく他人を思いやる心にあふれている。苔いが老人の賢さをもっている」といって涙をこぼした。
たとえ英仏関係が将来険悪化しようと、ピート・ゴスのなしえた行為は、「英国人にもいいところがある」とフランス人に永く思わせるだろう。個人の行動が他国民の心にじかに触れる、そういう時代だ。国と国との関係も結局は人と人の関係なのである。



日本シリーズ物語 西村欣也
(97.10.21朝日新聞)


一人のわき役の使い方が、チャンピオンフラッグの行方を、決めることがある。1985年。阪神-西武のシリーズで、主役を演じたのは阪神のランディー・バースだった。ペナントレースで三割五分、五十四本巣打、百三十四打点の成績を残し三冠王、MVPを獲得した怪人はニンリースでも三本塁打を放ち、MVPに輝いた。が、勝敗を染め分けたポイントを振り返ると、そこに、一七五センチ、」八八キロの華奢(きゃしゃ)なサウスポーがいる。福間納だ。阪神に初の日本一をもたらすことになる吉田義男は、球審に「ピッチャー、福問」と告けることで、自らの野球観、あるいは人生観を具現化しているようにもみえた。
「第五識を取った方の勝ちでしょう。第五識で決まる」広岡達朗がいつもの人を食ったような話し方でインタビューに応じたのは、十月三十日。第四戦が終わった直後だ。西武は二達敗のあと二連勝。第五識は必ず取ってみせるという、広岡の宣言たった。その第四戦の敗戦投手が福間だ。八回無死満塁で登板した福間は、このピンチを無失点で切り抜ける。しかし、九回、「左殺し」のニツクネームを持つ西岡良洋に決勝の2点本塁打を浴びたのだ。「二十時間以上、福間のビデオを見て研究しました」。西岡のセリフだ。


短期決戦の日本シリーズ、常識的に考えれば、それ以降福間の起用は難しくなるはずだ。が、吉田の考え方は違っていた。三十一日の第五戦。先発の池田親興が四回無死一、二塁のピンチを招くと「ピッチャー、福間」をコールする。西武が代打に西岡を送ってくるのを承知の上で、だ。一死満塁となり、広岡はやはり、西岡を代打に起用した。福間はスライダーで西岡を遊ゴロ併殺に仕留めた。フッと息を吐き出す。阪神がシリーズのイニンアチブを握った瞬間だ。


「逃げたら、あかんのですわ」吉田は言う。「あそこで、逃げたら、福間はずっと逃げ続けなあかん。人生でも、そうですわ」実は、ペナントレースでも、吉田は同じ手法を使っている。五月二十日。雨が降りやまない後楽園球場で、吉田は福間を起用した。前日、原にサヨナラ2ランを喫した左腕を、また原のところで使ったのだ。福間は原を右飛に仕留めて、生き返る。「あの日ですね」と岡田彰布が振り返った。「ナインがひとつになった。あの五月、言葉は悪いですが、このおっさんに命を預けようと思った」。十一月二目。所沢で、吉田は宙を舞った。指揮官は、福間を[触媒」として、使ったといえるかもしれない。彼を投入することで、まるで化学反応を促すように、選手の力を最大限に引き出した。敗れた広岡が辞任を表明したのは、シリーズ終了六日後、十一月八日のことだった。


 

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