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佐瀬稔のスポーツ人生 (2)

ああ、愛しのダブルヘッダー



1992年のセ・リーグの優勝争いのときの佐瀬さんの記事です。
スポーツに秀でてプロの選手になり、勝負にかけた生活を送っているうち、いつのまにか金銭や報酬の比重が多くなってきた選手もいるうちで、連戦のはての最後の段階で、ふと純粋に野球で勝負を味わえる楽しさを再認識できた時間を取り戻し、スポーツを始めた原点に戻った喜びの感情を見事に描いています。
1963年西鉄ライオンズが中西太 稲尾和久など博多の豪傑たちをそろえて南海との16.5ゲーム差を逆転してパ・リーグ優勝したとき、すべてを忘れて試合にかじりついていたことを思い出しました。最後は近鉄との4連戦、4勝で優勝、3勝1敗でプレーオフ、2勝2敗で近鉄が優勝という状況で2日でダブルヘッダーを2回4試合戦い、劣勢をはねかえして4連勝して優勝しました。



「こんなときに仕事なんかやっていられるかという気分で、セ・リーグの優勝をかけた神宮球場のヤクルトー阪神2連戦、甲子園球場の阪神-ヤクルト2連戦を見に走った


W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」の中で、シューレス・ジョーはこう語っている。「おれは食うために野球をやらなきゃならなかった。ぽんとはただで野球をやって、ほかの仕事で食いたかった。肝心なのは試合、球場、匂(におい)、音だった」
「そういうものについて話すだけで、おれは生まれてはじめてダブルヘッダーを見に行く子供みたいに体中がうずきだすんだ」
生まれてはじめてダブルヘッダーを見に行ったのは昭和23年、後楽園球場たった。あのころはまだ変則ダブルというのがあって、第1試合はA対B、第2試合はC対Dの組み合わせになり、2試合で少なくとも4人のピッチャーを見ることができる。水道橋の駅からもう走りっぱなしで、暗くてじめじめした通路を通り抜け、一歩スタンドに踏み出すと心が広々と開け放たれ、それだけで歓喜がきわまったものだ。


ありがたいことに、あのころと変わらぬ気持ちで神宮、甲子園に走った。さらにありかたいことに、両チームの選手たちは、シューレス・ジョー・ジャクソンと同じ心のうずきにかられて勝負を争った。
たとえば神宮での第2戦、9回裏一死。白球で出た広沢が次の池山のセンター左への安打で三塁まで走った。広沢をして走らしめたのは「ぽんとはただで野球をやりたかった」という、胸の奥深くにわき起こった衝勣だったにちがいないと思う。


sase03.jpgここで代わった阪神の投手・湯舟は四球を2度続け、わずか10球で交代したが、あれほどすごいフォアボールを見たことがない。一球一球が白い歯をむき出している感じで、それがボールになってしまう。ワンバウンドする。コーナーを外れる。激しい思いのこもった美しい四球という、まさに稀有(けう)のものを見たのだ。
二死満塁で飯田が三塁線に打った球をオマリーは倒れて捕り、座ったまま一塁に投げた。ジョーはキンセラに「おれは野球を愛していた」と語ったが、ゆるくて山なりで空(むな)しい送球に、同じ愛情がキラキラ輝いていた。ああ、生まれてはじめて見るダブルヘッダー。



高貴な心を持ち続けた佐瀬 稔さん


玉木 正之さんの追悼文(1998.5.30)


湯気までたつ迫力


佐瀬稔さんが亡くなられた。享年65。胸はいっぱい。頭はからっぽ。何を書いていいのやら・・・。もっと教えていただきたいことが、いっぱいあったのに……。
佐瀬さんは、熱い人たった。佐瀬稔さんの書かれる文章は、いつもホットだった。みずから〈感情的〉と称されていた文章は、文字から湯気までたつほど迫力があった。しかし、佐瀬稔さんの<感情>は、ただむやみに噴出するものではなかった。<スポーツと実の人生は八まったく異なるものです。両者を混同してはいけません>
佐瀬さんは、そんな言葉をよく□にされ文章にも書かれていた。


スポーツにおける勝利を、あたかも人生の勝利であるかのごとく称賛したり、スポーツにおける敗北を、あたかも人間的(全人格的)欠陥に起因するかのごとく評する「感情論」が横溢しているこの国のスポーツ・ジャーナリズムのなかにあって、佐瀬さんのスポーツを見る姿勢、書く文章は、理性的、知性的、合理的といえるほどのクールさにもあふれていた。

実際、佐瀬さんの文章には、スポーツに対する明晰な技術分析はもちろん、スポーツの歴史に関する豊富な知識や、その歴史的背景い詞察がふくまれていた。そのような理性と知識の精緻なフィルターを通したうえで、佐瀬さんは、最後の最後に噴出してくる本物の<感情>を文字に表現されたのである。
「文章家は、本来『感情』などに走って文章を書いたりしてはいけないのですが、ボクシングという激しくも高貴なスポーツに挑戦するボクサーという素騎らしい男たちを目の前にしてにへどれほど冷静に文章を練りあげようとして今最後の最後に心の奥からこみあげる感情を押さえ切れるものではありません。そこのところを読者のみなさん、ご理解ください……」
真摯で謙虚で、誠実な物の見方、文章の書き方をされていた佐瀬稔さんはそんな気持ちを込めて、みずからの文章を感情的と称されたのに違いない。佐瀬さんはダンディーな人たった。粋で八おしゃれで、真っ赤なセータ-やネクタイが似合う人たった。無粋なことや恰好の悪いことを忌避される人たった。
どんな若いスポーツマンにもハスポーツを離れた不躾な質問を浴びせるようなことはなかった。どんな偉大なスポーツマンにも、微塵も媚びることなく鋭い質問を□にされた。どれほど力のある組織にも、皿することなく、真っ向から正論を述べられた。スポーツを讃える以上に、書き手である自分を売り込むことに熱心な物書きが多いなかで、終始、スポーツの素晴らしさをスポーツを称賛称賛する態度を崩さない人たった。そんな姿を目の当たりにしたり、文章を読んだりしながら、私は、この人のやることに従っていれば間違いない、と確信したものだった。
<人間のあらゆる営為のなかでも、スポーツは最高級の高貴な営みである>
佐瀬さんが、そのような視点を確固として貫き通されたのは佐瀬稔さんこそ高貴な心の持ち主だったからに違いない。もう一席一緒にお酒を飲みたかった。


 

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