These foolish things

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佐瀬 稔 スポーツ人生(1)

佐瀬 稔さん


既に鬼籍に入った人たちのなかでも、特に記憶に残る人々がいます。一般的にはあまり知られていなくても、ふとしたきっかけで、お気に入りとなった人達です。、その生き方や残した業績を知っている人がいなくなると、ほんとうに世の中から消え去ってしまします。そんな記憶に残る人々の1人が佐瀬稔さんです。スポーツライターで大会社の記者からフリーランスになり、スポーツ、特に野球やボクシング、登山などの選手に対し、冷静かつ暖かな目で取材しています。そんな記事のうちのひとつです。


20071027170759.jpg  佐瀬稔のスポーツ人生(1995.11.13)


 勇気を捨てきれない悲劇



若かったころ、それはまばゆいばかりの勇気だったが、年齢を重ねれば向こう見ずな愚かさとなる。お願いだ、間違えないでほしい。USAトゥデー紙のボクシング記者、ブライアン・バーウェルはそう書いた。先日八ボウに逆転負けを喫したホリフィールドに送る言葉である。 このボクサーを初めて見だのはもう11年も前、ロサンゼルス・オリンピックだった。跳んだりはねだり以外にはほとんど能のない、モハマド・アリのあしき模倣者たちばかりが目立ったあの大会でごれまた無能のレフェリーの誤審により、L・ヘビーー級準決勝で失格負けという非道の処分を課せられたが、彼こそは正統・古典のボクシングを一身に表現したと強い感銘を受け、プロに入ったのちも注目し続けた。1992年11月、93年11月と2度にわたって行われたボウとの世界タイトルマッチも当然のことながらこの目で見届けた。 第1戦は負け、第2戦は雪辱。クルーザー、ヘビーの両階級を制し、すでに数十億/の財産を手にしながら、心の張りひとつで誠実かつ勇敢に戦い抜いた第2戦がとくに胸に残った。 その果ての第3戦小山のようなボウを相手に、ホリフィールドは2回過ぎから動きを止めて接近戦を挑み、見る問に戦力を消耗していった。最終ラウンドまで、到底己の体力がもたないと知ったうえでの、一撃にすべてを託す選択だった。
 8回、左フックで倒し、7回も攻勢を続行したが、とどめを刺すまでの力はとうに失っていて、8回開始早々、ボウの右フックのカウンターでボロきれのようになってキャンバスに落ちた。パ-ウェルが書いたとおり、33歳、全盛を過ぎた者が若かったころの勇気をついに放棄し得なかったゆえの、悲劇的な(あるいは当然の)敗北である。

屋外スタジアムはひどく寒かった。屋根の下のインタビュールームに移ったあとも震えのやまないまま、敗者が「さらに戦い続ける」と語るのを聞いた。 もうやめろ、だれもあなたをリングの中で見たくはない、という点ではアメリカ人記者と完全に意見が一致する。しかし、ヤワな日本人は「向こう見ずの愚かさ」とまでは書くことができなかった。それ以外に語る言葉はないと知りつつも、正午過ぎの男に面と向かって、あとはもうテラスで猫を抱いて暮らせとだれがいえるか。





(つづく)


 


 


下記は1998.5に掲載された記事で、病床で最後の力を振り絞って書いた絶筆です。名文に対してコメントは不可能です。


20071027171416.jpg

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