These foolish things

音楽を中心に新しいもの、古いものをなどMy Favaritesを。時には映画やWho's Whoなども

つげ 義春

つげ 義春

つげ 義春さんは、それまでにも、雑誌「ガロ」に時々掲載されていた紅い花、海辺の叙景など、一味かわった叙情あふれる作品などを書いていましたので、気になっていましたが、1968年に発売された作品集にあった書き下ろしの「ねじ式jには、得体のしれない異様な迫力を感じました。

ガロ 「つげ義春作品集(1968.5)」

つげ義春特集号(1968) ねじ式

いろいろ、穿った解釈をする人も多いようですが、「夢日記」など本人の文によれば、たぶん、大原への旅行で出合ったことを下敷きにした上で、さらに、夢の中での出来事のように脚色して書いたと思われますが、この内容を紡ぎ出せるのは普通の才能ではないと思います。それから今日まで色々な著作を読んでいますが、このころの作品は後期の夢そのもののような作品に比べ、ストーリーもあり、かつリリシズムにあふれた中身の濃い作品が多く、気に入っています。

 ねじ式

「無能の人」のような、自叙伝に近い作品を読むと、常に自分から引きこもってしまう、破滅的な性格であることがわかります。つげさんのような人は、居候とか食客のような非生産者を許容する度量、キャパシティが社会に無くなった現代の日本では「落ちこぼれ」、「負け組」と呼ばれ、昔の「私小説」を中心に書いていた作家のように。落伍者扱いされることでしょう。

著者は東北地方を中心に、鄙びた宿を訪ねて、それを題材にして多くの作品を残しています。つげさんが旅してたころの温泉宿は高度成長がまだ、届かないため、昔ながらの藁や萱ぶきの建物で、道路は車の必要がないため狭く、舗装していないため、穴ぼこだらけで、家々は土ぼこりで汚れていました。私の生家も当時似たようなものでした。今では法律上でも、もう建てられない、葺きなおしもできない過去のものになってしまいました。宮本 常一の本のように、古い記憶と、記録の上だけに残るのでしょう。

つげ義春とぼく

私としては色々な作品のなかでも、ゲンセンカン主人が理由はよく自分でもわかりませんがお気にいりです。

以下は権藤 晋さん「ねじ式」夜話のページ
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/nejiyawa.htm
より。

「ゲンセンカン主人」は、「ねじ式」や「ほんやら洞のべんさん」の翌月に発表された。「もっきり屋の少女」はその翌月であり、この三ヶ月は月一作以上のハイペースである。この間、作者は想像力と精神力の全面展開を試みたことになる。「ゲンセンカン主人」も「もっきり屋の少女」も、前作を完成させた後で構想されたのではない。「ゲンセンカン主人」は「ねじ式」が思い描かれたと同時であり、「もっきり屋の少女」は「方言について」の延長線上に位置していた。

つげさんに現代風のHPがあるので驚きました。(WEB構成はたぶん本人ではないでしょうけど)

公式サイト
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5


エルヴィスがすべて

エルヴィスがすべて


外国の音楽、特に歌詞のある音楽はメッセージの意味が分からないので、一部例外を除いてはあまり聞きませんが、その数少ない例外がエルビス・プレスリーです。デビューからではなく、70年代初めに映画「エルビス・オン・ステージ」を聞いからですが、当時、そのあまりの本物さ、迫力に圧倒されました。
レコードやDVDを数枚もっているだけで、コアなファンからすればファンの内にも入らないでしょうが、まだ白人と黒人がはっきり区別されていた時代に、意図してではなく、自分内から湧き出てくるオリジナルとして融合してロックンロールを創生したプレスリーは当時とすれば秩序の破壊者だったのでしょう
。(同類にも見えるビートルズは出現当時から、なぜか好きになれませんでしたが、後に女王陛下から勲章やサーの称号を貰って有難たがるなど、叙勲を至上とする官僚と一緒で何の矜持もない、俗物であったことを暴露してしまいました。)

エルビスはあまりの存在の巨大さゆえに、ショービジネスに翻弄され、取巻きが稼ぐために不本意なステージを押し付けられたこともあったようで、ショーの出来にも波があると思いますが、興がのってきた時のステージは神がかりです。好きなアルバムである「ライブ イン メンフィウス」は自宅、グレースランド御殿のあるテネシー州メンフィスのステージの録音ですが、「ぼくは救われました。神は存在するのです。なぜなら神は愛だからです。」と語って復活した、入魂のステージです。


LP「エルビス・ライブ イン メンフィス
ライブインメンフィス

そのなかでも、2曲、解説はライナーノーツからの引用

偉大なるかな神「How Great Thou Art」

そしていよいよ圧巻はA面最後の「偉大なるかな神」。これはまさに絶唱、人魂の熱唱といえるでしょう。「ニこでもスタンプスをフィーチャーして、私の好きなゴスペルを唄おうと思います」と語って唄い出すこの曲は、最愛の母の死と入隊が重なって、除隊後もその淋しい陰が抜けず、やがてスランプに落ち入っていった1965年に、思いもかけずエルヴィスが5年ぶりに吹込んでくれたアルバムのタイトル・ナンバーだった曲です。

アメリカの祈り「An American Trilogy」

次がB面中最高の聴きものである「アメリカの祈り」です。この歌の中に出てくるディキシー・ランドとは、南部諸州をさしている言葉で、メンフィス・テネシーは、まさにその南部。したがってこニでの喚声はひときわすさまじく、それまでの女性の金切り声とはまた違う聴衆のウオーっという声が、怒濤のようなすごさで盛り上っていきます。それもそうでしょう、「南部の地こそ私が生まれたところ。ああ、私は南部に居たい、南部こそ私が生き、そして死ぬところ」と、南部が生み出した世紀の王者が、その南部で今、唄っているのですから

Youtube 「How Great Thou Art 」 LPと同じステージかも




DVD「エルビス・オン・ステージ」
当時まだ高価だったのですが、やっとの思いで購入したものの、PCの能力不足で画面が紙芝居状態しか再生できず、Hollywood+という、MPEGデコーダカードを購入してやっと見ることができました。
エルヴスオンステージ

湯川れい子著 エルヴィスがすべて

エルヴィスがすべて


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寺山修司 箴言集

寺山修司 箴言集(青春の名言)

ずっと以前から、箴言やアフォリズムの類が好きでしたので、ラ・ロシュフコー箴言集やアランの幸福論、ピアスの悪魔の辞典など色々読み漁りましたが、そのなかで特に気に入ったのが、寺山修司 青春の名言でした。言葉を武器とする文士たるもの、詩や映画など、たとえば、聖書から演歌、はては織田信長、ゲバラ、奥浩平まで如何に膨大な書物あるいは芸術に接しているか判ります。このなかで引用されている言葉のうち気に入ったものをオリジナルを読むことで、知らなかった世界で知見を得ることができまし  た。ユリシーズの冒険も、シジフォスの神話もそうでした。
青春の名言(1968)  両手一杯の言葉(1997)

寺山修司 箴言集から引用

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。

たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさかおるものである。
(中略)そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の痛手を愉すための薬に。エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。

時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。
学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

という詩であった。
私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。

ラングストン・ヒューズ詩集

どっかへ走ってゆく汽車の七十五セントぶんの切符をください
どっかへ走ってゆく汽車の七十五セントぶんの切符をくださいってんだ
どこへいくかなんて知っちやあいねえ ただもうこっちからはなれてくんだ
「七十五セントのブルース」

節を知っててつらいのはホームシックのブルースだ 
泣き出すまいとがんばってロをつぐんで歌うんだ。
「ホームシックのブルース」

おいらは いろんな河を知っている
この世さながらの昔からのいろんな河を
人の肉体に流れている血よりも古い河を知っている
「ニグロと河」

アルベール・カミュ「シジフオスの神話」
神々はシジフォスに、休みなく岩を山の頂上まで転がして運び上げる刑罰を課した。山の頂上に達すると石はそれ自身の重さで再び落ちて来るのであった。無益で希望のない労働以上に恐ろしい刑罰はないと神々が寺えたのは死出のあることでかった。
しっ、静かに。君のそばを葬式の行列が通りすぎていく。
ロートレアモン「マルドロールの歌」

アーネスト・ヘミングウェイ「兵士の故郷」
「ぼくは神の王国なんかにいやしない」
「人はみなそこにいるのだよ」

畠山みどり「出世街道」
人に好かれて いい子になって 落ちて行くときや 独りじやないか
おれの墓場は おいらがさがす そうだその気で ゆこうじやないか

幸福論(1969)

寺山修司 「歌集」など

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
煙草くさき国語教師が言うときに明日という話は最もかなし

遠くへ行きたい。どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ。
こうやっていつも旅ばかりしていると、ときどき思うんだ。人生は汽車に似ているな、ってね。旅をしながら年老って古くなってゆく。自由になりたいな、って思うが、レールの外へ出れる訳じゃない。


豊島 ミホ 「底辺女子高生」

豊島 ミホ 「底辺女子高生」

映画「檸檬のころ」の原作者 豊島ミホさんが書いた本です。映画の「檸檬のころ」は原作の複数のお互いに関係したストーリー集から、2人の卒業真近な2人の高校3年生に焦点をあてて再構築したものでした。過去の記事でも書いたように、毎日、変わり映えのしない永遠に続くように思える日常のなかで、ある一時期、心が高揚したり落ち込んだりする様子を秀逸に描いていました。

底辺女子高生 檸檬のころ

これに対して「底辺女子高生」は著者が高校生だったころの経験を、ほとんどそのままで描いている(と思える)ものでした。「檸檬のころ」は創作で、本書とは異なることをおいても、「檸檬のころ」は上澄み、「底辺女子高生」は沈殿といったような感じを受けました。

下宿生活、屋上(に相当する美術室)、保健室登校、実験室での2人だけの掃除、文学誌への投稿など、小説にも登場したような場面も多く、この経験があのシーンに生きたのだと納得するところもありましたが、沈殿だけに、全体として今時と思えないほど、それこそ「ヘタレ」な高校生活が描かれています。

イラストも上手

例えば
クラス分け後、グループができる段階でお互いにレベルを値踏みして一番下だと自覚するシーン。
運動神経がなくて、地味女子グループは目立たない卓球に出場するが、地味男子グループとダブルスをやることになって、言葉を交わさないままお互いに敬遠して練習せず、惨敗した場面。
2年間で男子とやむを得なかった3回しかしゃべらなかった。

いなかの平凡な高校生の生活を底辺と称してここまで、自分を偽らずに書き込める筆者は、どこにでもいる凡人ではありません。数10年前の私の高校生時代でもこれほど「ヘタレ」ではありませんでしたが、覚えていても思いだしたくなかったり、書き留めるなどとは思いもよりません。2週間も家出をする行動力があり、自分の上澄みをすくいだせる力を持つ人は、大げさに言えば清濁併せ持つ器量と能力があるのでしょう。


過去の記事 「映画 檸檬のころ」
http://77117c.blog118.fc2.com/blog-entry-1.html

幻冬舎WEBマガジン「底辺女子高生」 そのまま読めるようです。
http://webmagazine.gentosha.co.jp/toshimamiho/vol111_toshimamiho.html


ムーミンパパ海へ行く (2)

ムーミンパパ海へいく(2)

先の富原真弓さんのムーミンに関する著作に関して、原作をを久しぶりに読み返しました。

ムーミンパパ海へ行く

ムーミンパパは、それがヨーロッパの家長としての役割なのか、一家のあるべき道を指し示す必要があると常に感じていますが、平凡な日常はムーミンママに仕切られて、自分の存在価値がわからなくなって、灯台のある島に一家で移住して、そこの新しい生活で、開拓者としてママに先立って、自分の主導権を回復しようとします。それもあらかじめ計画を立ててそのとおり実行しようと試み、また常にノートに記入して全てを理解しようと努めます。でも海や沼などの自然相手では当然、計画どおりにはことが進まず、また、理解できないことも多く残ります。家族も思ったとおりには行動しません。

「昼食後、すぐに出発することもできたんだけれども、このようなばあいは、日の入りを待たなければいけ々いのだ。順序正しくはじめるというとが、本は第一行からはじまるとおなじように、たいせつなことだからね。万事がそれできまるんだよ」
「きょうが何日だか、見なけりやいかんのだ。かけどけいを持ってこなかったのは、大失敗だったな。それにしても、日曜だか水曜だかわからないんじや話にもならん。わしにはそんな生活はできないわい」
ムーミンパパはパイプをかみかみ、ひっしになってなにかしら説明をみつけようとしました。「わしにはわからん」といわされるのは、つらいことでしたもの。パパはわからないことだらけなのには、もううんざりしていたのです。

ムーミンママはムーミン村では庭に畑を作って野菜を育て、地に足のついた生活をしていましたが、ムーミンパパに従って島に移住してなじもうと努力しますが、ホームシックになり、灯台の壁に花の絵を描いて、そのなかの庭に入り込んで寝てしまいます。

そうやってねていると、ムーミンママは、自分はちいさいのだなあとつくづく感じました。鼻をまくらにうめて、りんごの本のことやなんかを、いっしょうけんめい考えようとしました。けれども目にうかよのは、風に波立つ海のことだけでした。真っ暗やみの中で、目の上におおいかよさってきて、浜も島も燈台も、どこもかしこも占領してしまう海ばかりでした。ムーミンママの目の前には、世界じゆうがなめらかに流れる水になって、このへやもゆっくりとただよいはじめるすがたが、うかんできました。


ムーミントロールは、次第に自分の場所を探し始めます。隠れ場所を見つけたり、夜、一人で家の外に出てうみうまにからかわれたりしますが、、全てを凍らせ、死に至らしめるモランと毎晩会っているうちに、モランの心を解かして、次第に打ち解け、海、島、木々が自然だということを理解して「まず、好きにならなくちゃ」とパパに言います。そして、パパと少しずつ対等に考えられるようになって成長していきます。

ムーミントロールはこういって、こんな重大なことを、パパが自分に相談してくれたことで、うちょうてんになりました。そして、海とはいったいどういうものかと、自分でもいっしょうけんめいに考えてみました。
「おまえはほんとうにそう思うのかい。海はぜんぜんリズムもなければ理由もないんだって」と、ムーミンパパはききました。「たしかにないと思うな」と、むすこはこたえました。自分のこたえが正しいことを心から願いながら。


パパが考えを切り替えて理解しようと海と対話し、プレゼントである板きれをもらい家族総出で引き上げます。それがきっかけでママは絵に入り込むことがなくなります。最後に元灯台守の漁師の誕生日にパーティを開いて理解を深めたあと、灯台に再び灯が点ります。

「ところで、公平にみて、おまえさんがウイスキーの箱をとどけてくれたのは、ごしんせつだったね。わしはおまえさんがなぜそうしたか知ってるよ。おまえさんは、まけかたを知っているからだよね。そうだろ。しかし、だからといって、島にそのしかえしをしようというのは、ひきょうだぜ。わしがこんなことをいうのも、つまりはおまえさんがすきだからさ」。ムーミンパパは頭がつかれたので、おしゃべりをやめ、岩によりかかって待ちました。

ムーミン谷の名言集

平凡だった家族が、まるで環境の違う場所への引越しと環境変化、それぞれの思い入れの違いなどから次第にばらばらになりながら、最後にまた理解し合うという、大人の寓話で、やはりムーミンパパが、がんじがらめの自分の思い込みから解放され、蘇生する内容が中心のテーマだと感じました。

ただ一人、養女のミイだけは、常に現実を直視して、バランスを崩しませんでした。


ムーミン童話とはなにか?(高橋静男)
http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/mu01.htm



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音楽(クラシックと演歌以外)と、映画、PCの日々。古い話を含め、お気に入りを書いていきます。

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