These foolish things

音楽を中心に新しいもの、古いものをなどMy Favaritesを。時には映画やWho's Whoなども

ベンジャミン伊東

伊東 四朗 見ごろ、食べごろ、笑いごろ 


初回DVD-BOX伊東四朗やキャンディーズの出ていたコメディーは毎週見ていました。下は毎日新聞からの切り抜きですが、電線音頭に登場するベンジャミン伊東はこわいとは思いませんでしたが、圧倒的な存在感や迫力があったことを覚えています。
最近のように素人が席巻した一発芸でない、浅草などで目利きの客に鍛えられた芸を肥やしに、一皮むけてからのコメディアンや俳優としての活躍は目を見張るものがあります。「みごろ・たべごろ・笑いごろ」は今でも懐かしく初回版DVDを購入しました。





「おやじ」伊東 四朗は感電させる。
(1998.07.21 毎日新聞 キャラクター図鑑)


itoh3.jpgその昔、「電線マン」が画面に登題すると、怖かった。何が、というのではないのだがヽ、すべてをかなぐり捨てた時の、大人の本気のようなものが見えて、太刀打ちできない気がした。栄養ドリンクのCMでも、焼きノリのCMでも、同様に、大人の世界の不条理を感じた。伊東四朗とはこういう人なんだ、と焼き付いたものだ。
ある年の「紅白歌合戦」にゲスト出演した折、楽屋通路で見ていたら、相当、大物の歌手やタレントが、伊東に深々とあいさつする。伊東は、大物ぶるでも卑扁になるでもなく、悠々と過ぎ去る。「コ、コワイ」と焼きノリCM状態になってしまった。
見ちゃいけないものを見た気がした。消費者が知り得ぬ「お笑い」の位置を突きつけられた気がしたのだ。確かに、もはや伊東は「お笑い」ではない。が、「お笑い」の持つすごみと底力を今も維持し続けている。だから、懐かしの、そしてあこがれの「おやじ」にビンビン感応してしまうのか.
【川崎浩】


いとう・しろう
記事写真1937年6月15日ぐ東京都生まれ。.血液型O型。58年、石言均一の「笑う仲問」一座に参加。62年、三波伸介、戸塚睦夫とてんぷくトリオを結成。「てなもんや三度笠」などテレビに出演し人気スターとなる。73年、戸塚の死で解散。俳優・タレントとして独立し、77年「電線音頭」で個人タレントとしての人気を不動にする。その後、性格俳優としての活躍が増え、、現在「海まで5分」(TBS)で古典的おやじを演じる。



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ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ

ジミー時田 LP OLD BOY


ライナーノーツは円盤形
外国語の歌は歌詞の意味がわからないと、なにを伝えたいのか分からないのであまり聞かなかったので、カントリーウエスタンも聞いたことはありませんでしたが、日本人が歌って解説をしてくれたり、日本語で歌ってくれたりしたら興味を持つようになって、気がつくとジミー時田とマウンテンプレーボーイズを時々聞いていました。そのつながりで買ったLPのOLD BOYです。
ジミー時田さんのほか、小坂和也さん、寺本圭一さん、かまやつひろしさんも加わってカントリーを中心に幅広い音楽を和気藹々とライブで聞かせてくれます。ジミー時田さんはハンク・ウイリアムズの「I saw the Light」などを英語で歌っていますが、いつもののどが少しつまるような歌い方でカントリーの宣教師の名のとおり、直立不動で歌っているような雰囲気です。小坂一也さんの「おまえとナッシュビル」が気に入りました。


 


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日本のカントリー20とジミー時田とマウンテンプレーボーイズも聞いていますが、こちらはまだ在庫があるようです。2枚とも携帯プレーヤーに入れて繰り返し聞いています。


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スクラップブック(2)

スクラップブックから2編を


ヨットレースと野球の話題ですが、それぞれ生身の人間が自分の存在をかけて取り組んでいます。データから勝つためのゲームをする世知辛い生きかたでない、全身全霊で生きた人間たちです。最近ではあまり見かけない斜めに構えない不器用な生き方です。覚えている人は少なくとも「どう勝ったかではなく、どう生きたか」です。


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黒岩徹の世界を覗く
勝負に負け、レースに勝った男(1997.04.09毎日新聞)




昨年11月から今年3月にかけて行われた単独無寄港世界一周ヨットレースには、人間性に深く触れるドラマがあった。フランス西海岸から出発したヨットが南太平洋を進んでいた昨年12月末、英国から参加した元海兵隊員ピート・ゴス(35)は、参加者のフランス入ラファエル・ディネリの救援を求める声を無線で聞いた。消え入るような声から命の危険を察知し、直ちにレースを投げ出して、高波の中を200キロも戻ったのだ。10年来の夢だったレース参加のために家を売り、8万ポンド(約16O万円)の借金までつくったにもかかわらず。


はたしてディネリは、ひざまで水につかり、沈没寸前だった。低体温で脱水状態だった彼に、ゴスは4時間置きにスープを飲ませ、動けない彼をバケツの上に引き上げて用便までさせた。12日間彼を助けながらレースを続け、豪州タスマニアのホパート港近くで彼を降ろし、そのまま西へとョットを駆った。今年3月初め、126日ぶりに仏西岸の出港地に帰港した。優勝候補だったが助けに戻ったために遅れ、5位となった。どこの世界にも官僚的人間がいるものである。「ゴスは、航海中他人を乗せたから失格」「彼だけを例外にするのは不公平」としてその単独無寄港世界一周記録を認めるべきではないと主張する本部の小役人がいたのである。


だがレースを捨てて仲間の命を救ったピート・ゴスにフランス人が黙っていなかった。ゴスを3月末レース出港地レサーブルドローヌに招いたのだ。世界一周したヨットが港に着いたとき、助けられたディネリほか、10万人の観衆が出迎えた。レース優勝者が帰港したときの2万人をはるかにしのぐ人々だった。「偉大なるピートが帰ってきた」との顔れ幕が下がり、群衆は「ピート、ピート」と絶叫した。ピート・ゴスが、レーースに負けて、レースに勝った瞬間だった。
ゴスを迎えたディネリは、「ピートは肉体的精神的に強い男だ。英国のライオンである。一方で優しく他人を思いやる心にあふれている。苔いが老人の賢さをもっている」といって涙をこぼした。
たとえ英仏関係が将来険悪化しようと、ピート・ゴスのなしえた行為は、「英国人にもいいところがある」とフランス人に永く思わせるだろう。個人の行動が他国民の心にじかに触れる、そういう時代だ。国と国との関係も結局は人と人の関係なのである。



日本シリーズ物語 西村欣也
(97.10.21朝日新聞)


一人のわき役の使い方が、チャンピオンフラッグの行方を、決めることがある。1985年。阪神-西武のシリーズで、主役を演じたのは阪神のランディー・バースだった。ペナントレースで三割五分、五十四本巣打、百三十四打点の成績を残し三冠王、MVPを獲得した怪人はニンリースでも三本塁打を放ち、MVPに輝いた。が、勝敗を染め分けたポイントを振り返ると、そこに、一七五センチ、」八八キロの華奢(きゃしゃ)なサウスポーがいる。福間納だ。阪神に初の日本一をもたらすことになる吉田義男は、球審に「ピッチャー、福問」と告けることで、自らの野球観、あるいは人生観を具現化しているようにもみえた。
「第五識を取った方の勝ちでしょう。第五識で決まる」広岡達朗がいつもの人を食ったような話し方でインタビューに応じたのは、十月三十日。第四戦が終わった直後だ。西武は二達敗のあと二連勝。第五識は必ず取ってみせるという、広岡の宣言たった。その第四戦の敗戦投手が福間だ。八回無死満塁で登板した福間は、このピンチを無失点で切り抜ける。しかし、九回、「左殺し」のニツクネームを持つ西岡良洋に決勝の2点本塁打を浴びたのだ。「二十時間以上、福間のビデオを見て研究しました」。西岡のセリフだ。


短期決戦の日本シリーズ、常識的に考えれば、それ以降福間の起用は難しくなるはずだ。が、吉田の考え方は違っていた。三十一日の第五戦。先発の池田親興が四回無死一、二塁のピンチを招くと「ピッチャー、福間」をコールする。西武が代打に西岡を送ってくるのを承知の上で、だ。一死満塁となり、広岡はやはり、西岡を代打に起用した。福間はスライダーで西岡を遊ゴロ併殺に仕留めた。フッと息を吐き出す。阪神がシリーズのイニンアチブを握った瞬間だ。


「逃げたら、あかんのですわ」吉田は言う。「あそこで、逃げたら、福間はずっと逃げ続けなあかん。人生でも、そうですわ」実は、ペナントレースでも、吉田は同じ手法を使っている。五月二十日。雨が降りやまない後楽園球場で、吉田は福間を起用した。前日、原にサヨナラ2ランを喫した左腕を、また原のところで使ったのだ。福間は原を右飛に仕留めて、生き返る。「あの日ですね」と岡田彰布が振り返った。「ナインがひとつになった。あの五月、言葉は悪いですが、このおっさんに命を預けようと思った」。十一月二目。所沢で、吉田は宙を舞った。指揮官は、福間を[触媒」として、使ったといえるかもしれない。彼を投入することで、まるで化学反応を促すように、選手の力を最大限に引き出した。敗れた広岡が辞任を表明したのは、シリーズ終了六日後、十一月八日のことだった。


 


菅野 邦彦 (2)



菅野邦彦(2)
菅野邦彦 ライブ!ほか


菅野邦彦さんのレコードとCDは改めて数えてみたら、ブラジルから帰国後の「Hullo Again」を含めて10数枚ありました。そのなかでも印象の深い数枚を。


live3.jpgThe World of Kunihiko SUGANO LIVE(オーディオラボ)
このレコードは当時なかなか入手できず、やっと秋葉原で見つけたときは、宝物のようにレジに持っていったことを覚えています。


A面は菅野邦彦のソロとカルテットの演奏。ソロの1曲目で音を探しているような感じの演奏でしたが、仲間が加わった2曲目のミスティでは緩急、強弱にめりはりがついて、次第に興が乗ってきました。そして北村栄治さんが加わったB面では、最初のThese Foolish Thingsではクラリネットのソロに続いてしっとりと「泣いていた」ピアノを聞かせてくれました。次のMistyではリズム隊に合わせてアップテンポのご機嫌な演奏でした。


 酒とバラの日々菅野邦彦イン・コンサート(酒とバラの日々)
公開録音のLP化。最初はピアノが主題を努め、コンボになってからは4ビートやボサノバのリズムでベースの鈴木勲さんやドラムス・コンガと、息のあった演奏をくりひろげる曲が多いです。B面2曲目の酒とバラの日々が秀逸。


 shinnya.jpgシャイニーストッキンブス 



isoa.jpgいそしぎ(菅野邦彦 with ストリングス)


慕情(tbmレコード)


 


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菅野 邦彦 (1)

These Foolish Thingssugano2.jpg
菅野 邦彦 These Foolish Things(思い出のたね)


ブログの題名にしている(勝手に使用している)、ジャズの名曲です。長年、歌詞がある曲とは知らずにコンボに適したバラードだと思っていました。


菅野 邦彦さんは、私がディキシーからビッグバンドまで日本の4ビートのジャズを良く聞いていたころ、北村栄治さんとのコンサートなどで知りました。一見、カクテルピアノ風であり、かつ繊細な神経の持ち主であるため、興が乗るまでが難しかったのですが、一たび、グルーブすると天才ぶりを発揮していました。日本人離れした歌心とテクニックを持ちながら、あまり一般的には評価されていません。レコードやLP、あるいは当時のエアチェックなどの愛蔵盤から、気心の知れた北村 栄治さんとのコラボレーションです。亡くなった原田政長さんのベースがうなるようで、絶品でした。菅野邦彦さんはまだ演奏活動をしているようで機会があったら、聞いてみたいと思います。


録音は当時有名だった実兄の菅野沖彦さんのオーディオラボで行っており、アルバム「コラボレーション」この曲はA面の2曲目に収録されております。


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佐瀬稔のスポーツ人生 (2)

ああ、愛しのダブルヘッダー



1992年のセ・リーグの優勝争いのときの佐瀬さんの記事です。
スポーツに秀でてプロの選手になり、勝負にかけた生活を送っているうち、いつのまにか金銭や報酬の比重が多くなってきた選手もいるうちで、連戦のはての最後の段階で、ふと純粋に野球で勝負を味わえる楽しさを再認識できた時間を取り戻し、スポーツを始めた原点に戻った喜びの感情を見事に描いています。
1963年西鉄ライオンズが中西太 稲尾和久など博多の豪傑たちをそろえて南海との16.5ゲーム差を逆転してパ・リーグ優勝したとき、すべてを忘れて試合にかじりついていたことを思い出しました。最後は近鉄との4連戦、4勝で優勝、3勝1敗でプレーオフ、2勝2敗で近鉄が優勝という状況で2日でダブルヘッダーを2回4試合戦い、劣勢をはねかえして4連勝して優勝しました。



「こんなときに仕事なんかやっていられるかという気分で、セ・リーグの優勝をかけた神宮球場のヤクルトー阪神2連戦、甲子園球場の阪神-ヤクルト2連戦を見に走った


W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」の中で、シューレス・ジョーはこう語っている。「おれは食うために野球をやらなきゃならなかった。ぽんとはただで野球をやって、ほかの仕事で食いたかった。肝心なのは試合、球場、匂(におい)、音だった」
「そういうものについて話すだけで、おれは生まれてはじめてダブルヘッダーを見に行く子供みたいに体中がうずきだすんだ」
生まれてはじめてダブルヘッダーを見に行ったのは昭和23年、後楽園球場たった。あのころはまだ変則ダブルというのがあって、第1試合はA対B、第2試合はC対Dの組み合わせになり、2試合で少なくとも4人のピッチャーを見ることができる。水道橋の駅からもう走りっぱなしで、暗くてじめじめした通路を通り抜け、一歩スタンドに踏み出すと心が広々と開け放たれ、それだけで歓喜がきわまったものだ。


ありがたいことに、あのころと変わらぬ気持ちで神宮、甲子園に走った。さらにありかたいことに、両チームの選手たちは、シューレス・ジョー・ジャクソンと同じ心のうずきにかられて勝負を争った。
たとえば神宮での第2戦、9回裏一死。白球で出た広沢が次の池山のセンター左への安打で三塁まで走った。広沢をして走らしめたのは「ぽんとはただで野球をやりたかった」という、胸の奥深くにわき起こった衝勣だったにちがいないと思う。


sase03.jpgここで代わった阪神の投手・湯舟は四球を2度続け、わずか10球で交代したが、あれほどすごいフォアボールを見たことがない。一球一球が白い歯をむき出している感じで、それがボールになってしまう。ワンバウンドする。コーナーを外れる。激しい思いのこもった美しい四球という、まさに稀有(けう)のものを見たのだ。
二死満塁で飯田が三塁線に打った球をオマリーは倒れて捕り、座ったまま一塁に投げた。ジョーはキンセラに「おれは野球を愛していた」と語ったが、ゆるくて山なりで空(むな)しい送球に、同じ愛情がキラキラ輝いていた。ああ、生まれてはじめて見るダブルヘッダー。



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あの、夏の日

あの、夏の日


natu1.jpg都会に暮らすボケタというあだ名の小学校5年生の少年が、尾道の祖父母の家で暮らした夏休みの不思議な日々を描いた作品。


呆けたといわれる祖父に偏見なく付き合っているうちに、祖父につれられて昔と今の空間を行ったりきたりして、最後には祖父の少年時代に着せられた冤罪をはらしていきます。大筋はこのような内容ですが、「おじいチャン」の目には、今の新幹線も島に行く橋も見えていません。疑を持たない少年がその眼鏡をかけると対岸や港に何もない昔の景色が見え、空を飛べたりするのです。


最後におじいちゃんは「歩けない、もう疲れた」と言い、その後少年に「いい人生やった。」と言い残して死んで生き、少年は都会に戻ります。もう二度と来ないおじいちゃんとの日々を体験し、少年はだんだん大人になっていくのでしょう。でも空を飛んだ日のことも忘れないで成長してほしいと思いました。


natu2.jpgいわゆるジュブナイルの範疇ですが、大人/老年でもそれぞれに別の感慨があるとおもいます。湯本香樹実さんの「夏の庭」に似た感じでお勧めです。


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のだめカンタービレ(4)

のだめカンタービレ(4)


のだめも千秋も練習するときは、寝食を忘れて没頭していました。私は才能も意欲もなく、努力もしなかったのですが、クラシック音楽というと、高踏的でヨーロッパの貴族がパトロンとして育てた優雅な音楽という印象を持っており、あまりいい感じはしていませんでした。「のだめカンタービレ」は面白かったですが、TVなどでときどき見かける演奏者は自己陶酔しているような気もします。たぶん、嫉妬と羨望とトラウマが混ざっているのでしょう。



スウィングガールスのBBSのログから



真壁六郎太さんの投稿
クラシック音楽からみたら、フジ子・ヘミングの演奏はボロボロですので、クラシック音楽愛好家からは、大変嫌がられています。でも、理屈や規則やスタイルを知らない人達からは、とても受け入れられています。
コーラスのときに、クラシックではありましたが、アンサンブルの楽しさ、上手ではなかったけども、いぐね~顔をした経験があります。実は、そのときが一番、音楽というものに近づいた瞬間だったのだろうなと思います少しでも、理屈や規則がわかるようになったら、もう戻ることはできない世界ですから。


ドゥダ  ドゥダ  ドゥダ さんの返答
クラシック音楽も、当時生活にゆとりがあるヨーロッパ貴族(丁度現在の私たちの様に)が、現在の私たちの様に心をスウィングさせて楽しんだものです。それが何時の間にか、私から言わせると「誤った権威」が与えられてしまったものだと断言します。クラシックが最高の音楽だなんて、笑わせるよ。歴史をきちんと学習して、当時の音楽の本当の姿を知るべきですな。私から言わせると「音楽」とはその字の通り《音》を《楽しむ》ものです。音楽が異なるのは、昔のヨーロッパ貴族の好みと現在の私たちの好みが違うだけです。私たち一般の音楽好きの者を馬鹿にしていますね。思い上がるな。自分達だけが、音楽を知っていると思ったら大間違いです。もっと音楽に対して広い視野を持ってほしいです。
音楽って「知る」よりも、「心で感じる」ものです。本来音楽は人々が生きる力を得るために生じた物であり、生活に根ざしているものだと断言します。昔のヨーロッパ貴族の音楽が最高だなんて、私から言わせると「思い上がるにも程がある」という事です。



両手のピアノ楽譜を初見で弾いている人を見ても、どうやって上下の旋律と右手左手鍵盤が瞬間に結びつくのか理解できません。これができたら楽しかったろうと思います。音楽をやるとその時間、心が柔らかくなります。


のだめカンタービレ(3)

のだめカンタービレ(3)


エキストラに行きました。

レベルの高低やプロ/アマチュアの違いはあっても音楽を演奏することは楽しい。気持ちが通じた仲間と一緒に演奏するほうが、独奏よりもさらに楽しい。それでのだめカンタービレでも共演のシーンが、気に入りました。


例えば
谷岡先生による「2台のピアノのためのソナタ (モーツァルト)」の連弾シーン
初めての共演でのだめに自由に弾かせながら千秋自身もよみがえる場面、谷岡先生はいい役でした。
交響曲第3番 (ベートーヴェン)
おちこぼれと自認するメンバーから構成されたSオケが劣等感のなかでも、練習して上達するが、楽譜に忠実であるが故に限界があり、それを感じた千秋が今度はSオケに奔放に演奏させるシーン。
ピアノ協奏曲第2番 (ラフマニノフ)
学園祭でのシュトレーゼマンのAオケとの共演
→その後、演奏を聞いて猛練習したのだめと千秋の練習室での再度の共演。
聴衆、拍手、喝采もなし、さらにはこうしてはいられないという動機のみで、発表など定まった目標がなくても努力した結果により、演奏を通じて通じ合えていました。
R&Sオーケストラでの最後の公演での千秋の指揮。
日本で最後の演奏会となり、指揮をできる見通しが全くないなかでの孤独な練習から、ヨーロッパに旅立つ日までのいろいろは出来事が思い出されて、感無量のシーンで玉木宏さんも実際に目に涙を浮かべた力演でした。
多賀谷彩子役の上原美佐さん。二人を励まして去っていく最後は儲け役でした。理事長役の秋吉久美子さんも。


 



(つづく)


 




のだめカンタービレ(2)

のだめカンタービレ(2)


何事においても、才能と努力の両方が必要だと思いますが、特にクラシック音楽で演奏者として認められるには、他を凌駕する才能が必要なのかと思います。長年楽器のレッスンをしても、物語の冒頭で千秋さまから、「ヘタクソ」や「ドヘタクソ」と言われるレベルにも全く至らなかった私からすると天賦の才能は羨ましい限りです。


最初の連弾

物語は全般にのだめが主人公でありながら、実は千秋やオケメンバーや理事長など、のだめ「”けつの穴の小さい男ばい”などの博多弁は迫力」など周辺の人々の力を借りて、過去のトラウマから脱皮して一人前の指揮者となっていく様を描いたストーリーで、ビルディングスロマン(注)とも言うべき内容でした。
注)主人公の精神的、心理的、または社会的な発展や精神形成を描く小説のことで、発展小説、形成小説ともいう。


物語の進行とともに、音楽のレベルが高度になり、メンバーも新しくなっていきますが、全体を通してクラシック音楽に対する深い愛情が感じられました。主演の二人の熱演もあり、テーマソングをジャニーズが歌い、主演するというTBSの思惑が通らなくて良かったです。
http://www.ultracyzo.com/newssource/0511/01.html


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音楽(クラシックと演歌以外)と、映画、PCの日々。古い話を含め、お気に入りを書いていきます。

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