These foolish things

音楽を中心に新しいもの、古いものをなどMy Favaritesを。時には映画やWho's Whoなども

私淑した人々(2)

私淑した人々(2) 柴田 翔

大学に入学して、図書室にあった、われらの文学シリーズのうちの一巻に、高橋和己の「悲の器」(先のエントリにも書きましたが)等と共に掲載されていた、柴田翔の作品である、「されどわれらが日々」に、圧倒されました。すぐに刊行されていた同じ著者の「贈る言葉」を購入して、再度少し趣が変わっていましたが、再び魅惑されました。

柴田01
「されどわれらが日々」は60年安保の前の学生たちの種々な生き方を描いています。当時の学生たち(といっても、一部だったのでしょうが)が、ある党の圧倒的な影響力の下にあって、地下に潜ろうとして挫折するもの、主人公や登場人物たちの、それぞれの結婚相手との葛藤など、いろいろなまでの心の軌跡を描いていました。
エリートである東大生たちが、半ば約束された将来のコース(結婚相手や職業)と党へ忠誠の板ばさみにあって苦悩する話でした。今読み返してみると、70年代と異なる50年代末から60年代にかけての、ある一部の層の雰囲気が描かれているのですが、当時の学生の生き方の生硬さ、挫折、がよくわかります。しかし、登場人物が東大生、相手の女子大生が東京女子大か日本女子大などのみが対象で、将来、政界、財界など実社会でエリートとなるか、あるいは地下に潜っても農民を感化するという、やはり指導者としてのエリートになるかという選択で、選ばれたと考えている人特有の選良意識、独善の匂いを感じられます。60年当時は大学まで進学する人はかなり少なく、さらに東大にまで行く人は極く一部であって、色々考えて本を読んでも自分を疑う方向には向かわなかったのでしょう。また、時代でしょうが、長文の手紙をかいたり、はては自殺をする人が多く登場します。
でも、さすが主人公と同世代の著者です。同時代を別の世代が書いた、石川達三の「青春の蹉跌」から感じたこの世代に対して感じた敵意、違和感は、感じられませんでした。。
この本は党が非合法時代からの流れを引きずって、目指していた武装闘争のために、学生も参加させて山村工作体などを目論見、六全協で全面方針転換した、60年以前の歴史が背景にあるため、今の人が読んでも理解しがたい部分が多いと思います。

柴田02
「贈る言葉」
「されどわれらが日々」とは異なり、政治色がかなり抜けて、よく言えば少し肩の荷をおろした状態での作品と感じました。2つの小説のうち、「贈る言葉」は、大学生同士のカップルが二人の関係の進め方を巡って、次第にずれはじめ、結局お互いに、亀裂の入って絶望しかけた状態で、安宿で初めての、関係を持つに至ったが、結果として、しばらくして見かけた彼女は、以前の凛とした立ち居振る舞いから一変して、着飾っているが痛々しい精神状態に陥るという物語でした。
もう一編の「贈る言葉」もそうですが、今から思えば、女性が結婚相手と心が通じるかどうかと、煩悶、葛藤するなど、一見現代に通じるようで、見方がやはり男性側中心の視点が多いと思いました。リブやフェミニズムのかけらもないころの小説ですのが、ある程度、著者かみた女性のその時代の生き方を反映した人物像だったのでしょう。「されどわれらが日々」よりは、テーマが普遍的で読みやすいです。

柴田翔はその数年後、朝日ジャーナル1968.6.16号の巻頭で次のように書いています。

奥(注)の提出した「それからさき、何をして生きていくのか」という問いは、具体的には、大衆社会の虚妄のなかで、何をして生きて行くのかという問いである。それは、実は学生たちだけに向けられた問いではない。私たちの誰もが、何をして生きて行くのか考えざるをえない地点にいる。そこに、学生運動が、学生でない私たちに対してもっている思想的な意味がある。それは、昔は俺も純粋だったが・・・というような問題では決してない。それは私たちが、現在、毎日毎日の生活にどれだけの重みを感じているかという問いなのである。 
(中略) 
学生運動の側には、私たちに理認される必要など少しもない。私たちが非難しようが理解しようが、学生運動はそこに存在している。彼らを狂人扱いにして何かを失うのは、それによって、彼らがつきつけている思想的問題を避け、怠惰な日常を破滅へ向って、ただただ明るくなめらかに滑り落ちて行く私たちの方なのである。
注)奥浩平著 「青春の墓標」

60年代の柴田翔が70年代(というか、60年代の終わりまで)の問いかけた意味を理解し始めています。それにしても、上野千鶴子といい、柴田翔といい、みんな最後は東大の先生になるのだろう。


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つげ 義春

つげ 義春

つげ 義春さんは、それまでにも、雑誌「ガロ」に時々掲載されていた紅い花、海辺の叙景など、一味かわった叙情あふれる作品などを書いていましたので、気になっていましたが、1968年に発売された作品集にあった書き下ろしの「ねじ式jには、得体のしれない異様な迫力を感じました。

ガロ 「つげ義春作品集(1968.5)」

つげ義春特集号(1968) ねじ式

いろいろ、穿った解釈をする人も多いようですが、「夢日記」など本人の文によれば、たぶん、大原への旅行で出合ったことを下敷きにした上で、さらに、夢の中での出来事のように脚色して書いたと思われますが、この内容を紡ぎ出せるのは普通の才能ではないと思います。それから今日まで色々な著作を読んでいますが、このころの作品は後期の夢そのもののような作品に比べ、ストーリーもあり、かつリリシズムにあふれた中身の濃い作品が多く、気に入っています。

 ねじ式

「無能の人」のような、自叙伝に近い作品を読むと、常に自分から引きこもってしまう、破滅的な性格であることがわかります。つげさんのような人は、居候とか食客のような非生産者を許容する度量、キャパシティが社会に無くなった現代の日本では「落ちこぼれ」、「負け組」と呼ばれ、昔の「私小説」を中心に書いていた作家のように。落伍者扱いされることでしょう。

著者は東北地方を中心に、鄙びた宿を訪ねて、それを題材にして多くの作品を残しています。つげさんが旅してたころの温泉宿は高度成長がまだ、届かないため、昔ながらの藁や萱ぶきの建物で、道路は車の必要がないため狭く、舗装していないため、穴ぼこだらけで、家々は土ぼこりで汚れていました。私の生家も当時似たようなものでした。今では法律上でも、もう建てられない、葺きなおしもできない過去のものになってしまいました。宮本 常一の本のように、古い記憶と、記録の上だけに残るのでしょう。

つげ義春とぼく

私としては色々な作品のなかでも、ゲンセンカン主人が理由はよく自分でもわかりませんがお気にいりです。

以下は権藤 晋さん「ねじ式」夜話のページ
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/nejiyawa.htm
より。

「ゲンセンカン主人」は、「ねじ式」や「ほんやら洞のべんさん」の翌月に発表された。「もっきり屋の少女」はその翌月であり、この三ヶ月は月一作以上のハイペースである。この間、作者は想像力と精神力の全面展開を試みたことになる。「ゲンセンカン主人」も「もっきり屋の少女」も、前作を完成させた後で構想されたのではない。「ゲンセンカン主人」は「ねじ式」が思い描かれたと同時であり、「もっきり屋の少女」は「方言について」の延長線上に位置していた。

つげさんに現代風のHPがあるので驚きました。(WEB構成はたぶん本人ではないでしょうけど)

公式サイト
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5


寺山修司 箴言集

寺山修司 箴言集(青春の名言)

ずっと以前から、箴言やアフォリズムの類が好きでしたので、ラ・ロシュフコー箴言集やアランの幸福論、ピアスの悪魔の辞典など色々読み漁りましたが、そのなかで特に気に入ったのが、寺山修司 青春の名言でした。言葉を武器とする文士たるもの、詩や映画など、たとえば、聖書から演歌、はては織田信長、ゲバラ、奥浩平まで如何に膨大な書物あるいは芸術に接しているか判ります。このなかで引用されている言葉のうち気に入ったものをオリジナルを読むことで、知らなかった世界で知見を得ることができまし  た。ユリシーズの冒険も、シジフォスの神話もそうでした。
青春の名言(1968)  両手一杯の言葉(1997)

寺山修司 箴言集から引用

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。

たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさかおるものである。
(中略)そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の痛手を愉すための薬に。エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。

時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。
学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

という詩であった。
私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。

ラングストン・ヒューズ詩集

どっかへ走ってゆく汽車の七十五セントぶんの切符をください
どっかへ走ってゆく汽車の七十五セントぶんの切符をくださいってんだ
どこへいくかなんて知っちやあいねえ ただもうこっちからはなれてくんだ
「七十五セントのブルース」

節を知っててつらいのはホームシックのブルースだ 
泣き出すまいとがんばってロをつぐんで歌うんだ。
「ホームシックのブルース」

おいらは いろんな河を知っている
この世さながらの昔からのいろんな河を
人の肉体に流れている血よりも古い河を知っている
「ニグロと河」

アルベール・カミュ「シジフオスの神話」
神々はシジフォスに、休みなく岩を山の頂上まで転がして運び上げる刑罰を課した。山の頂上に達すると石はそれ自身の重さで再び落ちて来るのであった。無益で希望のない労働以上に恐ろしい刑罰はないと神々が寺えたのは死出のあることでかった。
しっ、静かに。君のそばを葬式の行列が通りすぎていく。
ロートレアモン「マルドロールの歌」

アーネスト・ヘミングウェイ「兵士の故郷」
「ぼくは神の王国なんかにいやしない」
「人はみなそこにいるのだよ」

畠山みどり「出世街道」
人に好かれて いい子になって 落ちて行くときや 独りじやないか
おれの墓場は おいらがさがす そうだその気で ゆこうじやないか

幸福論(1969)

寺山修司 「歌集」など

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
煙草くさき国語教師が言うときに明日という話は最もかなし

遠くへ行きたい。どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ。
こうやっていつも旅ばかりしていると、ときどき思うんだ。人生は汽車に似ているな、ってね。旅をしながら年老って古くなってゆく。自由になりたいな、って思うが、レールの外へ出れる訳じゃない。


豊島 ミホ 「底辺女子高生」

豊島 ミホ 「底辺女子高生」

映画「檸檬のころ」の原作者 豊島ミホさんが書いた本です。映画の「檸檬のころ」は原作の複数のお互いに関係したストーリー集から、2人の卒業真近な2人の高校3年生に焦点をあてて再構築したものでした。過去の記事でも書いたように、毎日、変わり映えのしない永遠に続くように思える日常のなかで、ある一時期、心が高揚したり落ち込んだりする様子を秀逸に描いていました。

底辺女子高生 檸檬のころ

これに対して「底辺女子高生」は著者が高校生だったころの経験を、ほとんどそのままで描いている(と思える)ものでした。「檸檬のころ」は創作で、本書とは異なることをおいても、「檸檬のころ」は上澄み、「底辺女子高生」は沈殿といったような感じを受けました。

下宿生活、屋上(に相当する美術室)、保健室登校、実験室での2人だけの掃除、文学誌への投稿など、小説にも登場したような場面も多く、この経験があのシーンに生きたのだと納得するところもありましたが、沈殿だけに、全体として今時と思えないほど、それこそ「ヘタレ」な高校生活が描かれています。

イラストも上手

例えば
クラス分け後、グループができる段階でお互いにレベルを値踏みして一番下だと自覚するシーン。
運動神経がなくて、地味女子グループは目立たない卓球に出場するが、地味男子グループとダブルスをやることになって、言葉を交わさないままお互いに敬遠して練習せず、惨敗した場面。
2年間で男子とやむを得なかった3回しかしゃべらなかった。

いなかの平凡な高校生の生活を底辺と称してここまで、自分を偽らずに書き込める筆者は、どこにでもいる凡人ではありません。数10年前の私の高校生時代でもこれほど「ヘタレ」ではありませんでしたが、覚えていても思いだしたくなかったり、書き留めるなどとは思いもよりません。2週間も家出をする行動力があり、自分の上澄みをすくいだせる力を持つ人は、大げさに言えば清濁併せ持つ器量と能力があるのでしょう。


過去の記事 「映画 檸檬のころ」
http://77117c.blog118.fc2.com/blog-entry-1.html

幻冬舎WEBマガジン「底辺女子高生」 そのまま読めるようです。
http://webmagazine.gentosha.co.jp/toshimamiho/vol111_toshimamiho.html


ムーミンパパ海へ行く (2)

ムーミンパパ海へいく(2)

先の富原真弓さんのムーミンに関する著作に関して、原作をを久しぶりに読み返しました。

ムーミンパパ海へ行く

ムーミンパパは、それがヨーロッパの家長としての役割なのか、一家のあるべき道を指し示す必要があると常に感じていますが、平凡な日常はムーミンママに仕切られて、自分の存在価値がわからなくなって、灯台のある島に一家で移住して、そこの新しい生活で、開拓者としてママに先立って、自分の主導権を回復しようとします。それもあらかじめ計画を立ててそのとおり実行しようと試み、また常にノートに記入して全てを理解しようと努めます。でも海や沼などの自然相手では当然、計画どおりにはことが進まず、また、理解できないことも多く残ります。家族も思ったとおりには行動しません。

「昼食後、すぐに出発することもできたんだけれども、このようなばあいは、日の入りを待たなければいけ々いのだ。順序正しくはじめるというとが、本は第一行からはじまるとおなじように、たいせつなことだからね。万事がそれできまるんだよ」
「きょうが何日だか、見なけりやいかんのだ。かけどけいを持ってこなかったのは、大失敗だったな。それにしても、日曜だか水曜だかわからないんじや話にもならん。わしにはそんな生活はできないわい」
ムーミンパパはパイプをかみかみ、ひっしになってなにかしら説明をみつけようとしました。「わしにはわからん」といわされるのは、つらいことでしたもの。パパはわからないことだらけなのには、もううんざりしていたのです。

ムーミンママはムーミン村では庭に畑を作って野菜を育て、地に足のついた生活をしていましたが、ムーミンパパに従って島に移住してなじもうと努力しますが、ホームシックになり、灯台の壁に花の絵を描いて、そのなかの庭に入り込んで寝てしまいます。

そうやってねていると、ムーミンママは、自分はちいさいのだなあとつくづく感じました。鼻をまくらにうめて、りんごの本のことやなんかを、いっしょうけんめい考えようとしました。けれども目にうかよのは、風に波立つ海のことだけでした。真っ暗やみの中で、目の上におおいかよさってきて、浜も島も燈台も、どこもかしこも占領してしまう海ばかりでした。ムーミンママの目の前には、世界じゆうがなめらかに流れる水になって、このへやもゆっくりとただよいはじめるすがたが、うかんできました。


ムーミントロールは、次第に自分の場所を探し始めます。隠れ場所を見つけたり、夜、一人で家の外に出てうみうまにからかわれたりしますが、、全てを凍らせ、死に至らしめるモランと毎晩会っているうちに、モランの心を解かして、次第に打ち解け、海、島、木々が自然だということを理解して「まず、好きにならなくちゃ」とパパに言います。そして、パパと少しずつ対等に考えられるようになって成長していきます。

ムーミントロールはこういって、こんな重大なことを、パパが自分に相談してくれたことで、うちょうてんになりました。そして、海とはいったいどういうものかと、自分でもいっしょうけんめいに考えてみました。
「おまえはほんとうにそう思うのかい。海はぜんぜんリズムもなければ理由もないんだって」と、ムーミンパパはききました。「たしかにないと思うな」と、むすこはこたえました。自分のこたえが正しいことを心から願いながら。


パパが考えを切り替えて理解しようと海と対話し、プレゼントである板きれをもらい家族総出で引き上げます。それがきっかけでママは絵に入り込むことがなくなります。最後に元灯台守の漁師の誕生日にパーティを開いて理解を深めたあと、灯台に再び灯が点ります。

「ところで、公平にみて、おまえさんがウイスキーの箱をとどけてくれたのは、ごしんせつだったね。わしはおまえさんがなぜそうしたか知ってるよ。おまえさんは、まけかたを知っているからだよね。そうだろ。しかし、だからといって、島にそのしかえしをしようというのは、ひきょうだぜ。わしがこんなことをいうのも、つまりはおまえさんがすきだからさ」。ムーミンパパは頭がつかれたので、おしゃべりをやめ、岩によりかかって待ちました。

ムーミン谷の名言集

平凡だった家族が、まるで環境の違う場所への引越しと環境変化、それぞれの思い入れの違いなどから次第にばらばらになりながら、最後にまた理解し合うという、大人の寓話で、やはりムーミンパパが、がんじがらめの自分の思い込みから解放され、蘇生する内容が中心のテーマだと感じました。

ただ一人、養女のミイだけは、常に現実を直視して、バランスを崩しませんでした。


ムーミン童話とはなにか?(高橋静男)
http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/mu01.htm


ムーミンパパ海へいく(1) パパたちに捧げる物語

パパたちに捧げる物語(ムーミンパパ海へいく)


ムーミンシリーズ、は最初のアニメ版(1969-1970)放映のころから好きでした。当時はご他聞にもれず、ミイやスナフキンがお気に入りでしたが、後日、書籍としてシリーズを読み返すと、それぞれのキャラクターが悩みながら生きている、それこそ「ちりとてちん」のような、大人向けの物語であることに気づきました。

ムーミン谷では、みな特に定職というものはないのですが、例えば、ムーミンパパは、回顧録を書くのが趣味という人物?設定ですが、ある日以下引用のように自分探しを始めてしまいます。

ムーミンパパ

ムーミン谷へようこそ (富原 真弓著)より

八月の終わりのある午後のこと、ひとりのパパが庭を歩きまわり、自分は無用の長物だと感じていた。なにをすればよいのかわからなかった。やるべきことはすべてやってしまったし、さもなければ、ほかのだれかがやっている最中だったからだ。「ムーミンパバ海へいく』はこんな出だしで始まる。のっけからパパの所作のなさそこはかとなき挫折感が描かれる。「ムーミンバパが」ではなく「ひとりのパパが」という距離をおいた言いまわしは、おそらく、この本の献辞の「あるパパヘ」に呼応している。これはパパー般に捧げられた物語なのかもしれない。

でしゃばりではないが肝心なときには頼りになるママ。そこぬけに楽観的でどんな面倒なことも楽しくやってのける才能のあるママ。もちろんママはことあるごとにパパをたてるし、みんなもパパが大好きだ。それでも、ムーミン谷での生活がママを軸に営まれていることは否めない。

だれもがはんとうに頼りにしているのはママであって、この自分ではない。そうムーミンバパは感じ、おそらくは根拠のない疎外感に悩む。この自信喪失の一歩手前で悶々としているムーミンパバの姿に共鳴する〈パパたち〉も少なくないはずだ。その意味で、とりわけこの本はおとなのため、もっといえば、世のパバたちのために書かれたといってもよい。

ババ自身にも、自分かなぜ怒っているのかわかってはいない。一入前のおとなにしては子どももっぱいところがあるが、単純に子どもっぱく振るまうには分別がありすぎる。だから、怒りを爆発させたくてもできずに、じめじめと内向してしまう。ムーミントロールもママもパパの態度にびっくりはするが、そのうち収まるだろうと呑気にかまえている。パパがときどきわけもなくメランコリーになるのは、いまに始まったことではないからだ。ただ、ちびのミイだけがことの深刻さを見ぬき、怖るべき洞察力を発揮して、こう、言いはなつ、「怒るんなら怒ればいいのよ。だれだってときには頭にくるし、どんな小さな生きものにも機嫌を悪くする権利はある。だけどパパの怒りかたはまずいわね。ぱっと表に出さないで、うちにこもってしまうんだもの」。

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憂鬱なる党派「高橋 和巳著」の主人公のように、ある日、褐色の憤怒を持って、ムーミンパパは住み慣れたムーミン谷を離れ、一家をつれて灯台のある島に移り住んでしまいます。


やがてミイの言葉が呼び水になったかのように、物語はあたらしい展開を迎える。なに不自由のないのどかな谷の生活を捨てて、水平線もはっきりしない、はるか沖にぽつんと俘かよ孤島に、家族のみんなを引きつれて移リすむというパパの決意を生む。ムーミンママの領分であるムーミン谷を離れ、ムーミンパパの領分(であるはず)の犬海原に乗りだすことで、もう一度、パバとして、個人として、いちから生活をたて直そうとしたのである。それは、穏やかなムーミン谷で日々失われていく上うに思える自伝と誇りを取りもどそうとする、ムーミンバパー世一代の賭けであった。

でも、そこではムーミンパパが一家の主たる指導力を発揮しようとしても、ママはなじめず、自分の世界に入り込んで生き、一家はばらばらになって行きます。

しかし、なれ親しんだムーミン谷ならいざしらず、島と灯台の生活にとけこめないムーミンママの心に、自分はなんのためにここにいるのかという疑問が忍びこんでくる。だいたい、なぜ母親だけがなにか特別な存在のように貼なされるのか。家族がみんなばらばらに好き勝手に暮しているのに、なぜ自分だけがいつも変わらぬムーミンママ」でいることを求められるのか。ほとんど自分を必要としていないかのように振るようババ、所在もつかめないムーミントロールとちびのミイ。島に来てみるみる変わっていく家族の関係を見直すうちに、ムーミン谷では考える必要すら感じなかった疑問がおいてくる。自分にとって家族とはなにか、妻であるとははであるとはどういうことか、そもそも自分はなにものなのか、という。古くて新しい問いである。その意味で、「ムーミンババ海へいくは、ムーミンパパのババとしての威信回復の試みの物語であると同時に、「根っこから離れて漂いだす」島のように揺らぎだしたムーミンママのアイデンティティ再発見の物語でもあるといえよう。

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公式サイト
http://www.moomin.co.jp/

初期アニメ ねえ!ムーミン
http://www.youtube.com/watch?v=8Jb3X1eIEaw&feature=related


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現代学生百人一首

現代学生百人一首から



これまで詩や短歌は時々読んでいました。残念ながら私は歌心は全くありませんが、すばらしい歌には直接心に響くなにかを持っています。石垣りんさんや茨木 のり子さんなどは、読む前に身構える必要がありそうなので。軟弱な私は俵 万智さんや寺山 修司などが多いです。 

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学生の短歌を取り上げた現代学生百人一首のなかには、高校生や中学生でありながら、というか高校生や中学生だから、自分の進む方向を探している途中の段階でふと感じた、今の素直な気持ちを歌った秀逸なものがあります。数年分から気に入った数首を好みで選んでみました。なぜか女性が多いですが、この年代ではそれだけ、より自分を見つめているということなのかも知れません。

下表の中学生の福山さんは、下記新聞記事にも別の年度で掲載されており、連続受賞のようです。どちらもいい歌です。読んでいるだけで目からよだれが(ちりとてちんの四草さんのよう


気がつけばいつも後ろに君がいてそして変わらぬこの距離がある高3佐々木泰子
自転車の風を切る音聞こえればあなたが来たかと振り向く私高2五十嵐遥子
こんなにもたくさんの人がいる中でたった一人を慕う不思議さ高3鴇田久美子
全身がふるえるんだココロって液体なんだなあふれそうだもの高2桂井朋子
「できる子やあんたはやればできる子や」言われ続けて十六年高1福永知晃
秋風が君と私の帰りみち手と手をつなぐ理由をくれた高3日比さくら
夕焼けがとてもキレイで涙出た私は何をしていたのだろう高1中川真梨子
青みかんまだすっぱくて食べれないいつかは熟せ私の心高2阿部千恵子
鏡の前で十回練習したけれどあなたの前だと言えない二文字高2宇佐美静香
嬉しいな職場体験保育園やんちゃな子たちにチュウされギュウされ中2齋藤みなみ
朝顔はさみしがりやの誰かみたい隣の棒にすぐ絡みつく中2大野花菜
あなたから返事を待ってる間だけ空気と時間は密度を変える高3恩田桜子
おじいちゃんみんなの話題と違うけど私はちゃんと聞いてるよ高3岸友佳里
だんだんと母になりゆく姉がいておなかに話すやさしい笑顔高3村上真紀
好きだったその気持ちだけで十分と我に思わす六月の青空(そら)高2佐々木愛
こんなにも夢って重いものなのか十七の冬心が重い高2吉野 聡子
ふと気づくあなたの言った一言が私の穴を埋めていたんだ高2近藤あかね
なんてこと私の中で遭難中誰かあたしを見つけて下さい高3江原千明
なずなですぺんぺん草ですわたしです『わたしのすべてあなたに
ささげます』
中3福山なずな





リンク
東洋大学現代学生百人一首
http://www.toyo.ac.jp/event/issyu/kako.html

 


 朝日新聞 天声人語 2006年01月14日

東洋大が募集し、約5万8千首が寄せられた「現代学生百人一首」の入選作を読む。
三十一文字をつづりながら、自分や周りや世界を見つめている姿が目の前に浮かんでくる。

く私って何なのかしらと問う島に貴方は貴方と言い放つ空〉中2・甲斐菜摘。
く未来というワケのわからぬ存在を私の形に切り抜いていく〉高3・武井伶。
く喜一哀・楽仮面の上に描くたび己の顔をうしなう道化師(ピエロ)〉中3・増田菜穂子。

学びの中の一瞬をうたう。
く図書館の窓よりトンボ迷い込み草野心平に留まり、また飛ぶ〉高3・佐々木勇翔(ゆうと)。
く暴れだす牛の鼻環(はなかん)必死でつかむ感覚頼りの胃汁の採取〉高3・福島麻衣。
家族へのまなざしがある。
く花型のにんじん入りの弁当が昨夜の喧嘩を反省させる〉高1一代島千沙都。
く病室で流した涙の理由はね痛みじゃなくて母のぬくもり〉高2・高橋麻未。
戦後60年がたった。
く祖母が言う戦地に向かう祖父の背を涙こらえて送った日のこと〉高2・富樫拓也。
選外佳作からも一首。
く悲劇の日、忘れられない60年止まったままの11時2分〉高2・女子。
人と人のさまざまなつながりがある。
<こんなにも明るく晴れた天気でもみんなケータイうつむきかげん〉高1・山崎純平。
くなずなですあつかいにくい子なのですけれどわたしはあいしてるのです〉中2・福山なずな。

若い感性に力強さが宿る。
く刈られても刈られた分だけまたのびる芝のあおさに力みなぎる〉中2・鈴木奏慧(かなえ)。
く人生のブランコたまにはバックする大き〈前へこぎ出すために〉高1・田中結。



私淑した人々(1) 高橋和巳


私淑した人々(1) 高橋 和巳

最初に手にした高橋和巳の文章は、ふとしたきっかけで借りて読んだ「われらの文学」シリーズのなかのある一巻でした。そのなかには柴田翔「されどわれらが日々」、倉橋由美子とともに高橋和己の「悲の器」がありました。それがきっかけで高橋和巳を読むようになりました。自分が最初に購入したのは「捨子物語」でした。ほとんどストーリーが感じられない悲惨で破滅的で全体に混沌とした内容でしたが、最後にこれから育ての親となるような人が現れて、わずかな救いが感じられました。

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まだ、古典的教養人とか知識人などという言葉が生きていた時代で、高橋和巳は吉川幸次郎の門下で中国文学の一流の研究者であり、京都大学の助教授いう肩書きからまさに知識人そのものでした。当時の大学生は大学への進学率も低く、一応は選ばれた人であり、そのなかでも大学の教職にある筆者は自他共に認めるエリートそのものでした。そのエリートが思想、文学に傾倒し、次第に正統な学究の道から外れて自ずから信じた文学の道に入って行ったのでした。「憂鬱なる党派」に登場する、戦後すぐに学生生活を送った人たち、の一部の人は、それこそ当時ある位置を占めていた「党派」の思想とどうつきあうかを問われ続けたのでしょう。この小説ではもはや死語となった「六全協」後の学生達の挫折と分裂したその後の日々を描いています。


高橋和巳は次第に全共闘運動に共鳴していき、新しい可能性を模索しているなか、夭折しました。「邪宗門」など大作があるなかで、最も印象に残ったのは小品「堕落」のなかで、孤児院を開いていた主人公が、堕落を重ねて行き倒れているとき、ちんぴらにからかわれて、安物の傘で「ほんとうに人を殺すのはこうするものよ」とちゃちな自己満足している貴様らになにができるかと言いつつ、人間を空気袋のように突き殺すシーンでした。


高橋和巳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C%E5%B7%B3

堕落
http://kenbox.jp/monsterbox/bungaku/takakazu.htm

六全協
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E7%AC%AC6%E5%9B%9E%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A


話の特集

雑誌 話の特集(1)


1965年から約30年続いた、日本のポップカルチャー(サブカルチャー)を代表する雑誌。編集長は矢崎泰久さんで、当時まだ無名だった横尾 忠則さん、立木 義浩さん、和田 誠さん(アートディレクタ−)、篠山 紀信さんなど幾多の才能ある新人を慧眼で見抜き、どんどん登用して花開かせたと同時に当時すでに高名だった人も独自の人選で掲載しました。原宿のセントラルアパートにあった編集室は、後日、革自連などを結成することでも分かるように、反権威と反権力の砦でした。



ほぼ雑誌の創刊から終刊まで購読し、多くの才能ある人達を知ることができました。かろうじて同時代に生きていられて良かったと感じた以下のような人達もいました。おりにふれて気にいった記事や執筆者をいろいろ御紹介したいと思います。



安藤 鶴夫(文芸評論家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E9%B6%B4%E5%A4%AB
平野 威馬雄(フランス文学者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%A8%81%E9%A6%AC%E9%9B%8
柳家 三亀松(都々逸、艶談の名手)


当時の状況を知るための本

「話の特集」と仲間たち
話の特集と仲間たち

話の特集創刊40周年記念号
記念号

立木 義浩「セントラルアパート物語」


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上野千鶴子 「学校化社会」


学校化社会 上野千鶴子


20071021190044.jpg最近、一般向けの本が多い著者の教育に関する本です。上野千鶴子さんは1988年にアグネス論争(注)で劣勢だったアグネスさんに応援を買ってでたころから知っていました。
「男社会で働く母が失ってきたもの」という題で、男社会の建前の正論に組み込まれた、最近の用語でいえば勝ち組の二人に孤軍奮闘のアグネスを勝手に応援したことで、弱い者や判官びいきの私は上野千鶴子さんに親近感を持っていました。ジェンダーフリーもフェミニズムもなかった高校生のころ、凛としていると感じている同級の女子生徒たちが、しだいになよなよとして男に媚びるような態度に変わっていくのを見て、「かつて反発したであろう良妻賢母への道をあきらめて受け入れずにもういちど戦ってみること」という雑文を書いたこともありました。(今はそんな簡単な話ではなかったと理解できるのですが。)


20071021190058.jpg(注)アグネス・チャンさんが生まれたての子供を母乳で育てるべく、仕事にでかける時は会場に同行したことに対し、林真理子さんや中野翠さんが、甘えだと批判したことで起こった論争。「アグネス論争を読む(1988)」参照。


そんな上野さんの近書です。勝手に要約すれば



1.学校内外の価値感が社会を支配しているため、複線的な行き方ができない。
2.階級が再生産されている。
3.肥大化した学校の役割を縮小させる。
4.自分で考えてまとめる力をつける必要がある。



等です。分析としては同感できる点もありますが、フリーターも含め、多様な生きかたを勧めているのは、現実を知らない学者、あるいは現実を知っていても同じ視線まで降りていけず、調査・解析に留まっている「学者」の限界かと思いました。サイバラ作品の「高知でも貧しい地域で、女はみんな18歳くらいで結婚して、あちは一生後悔して終わる。旦那はヤンキーあがりで日給の仕事をして1DKくらいのアパートで・・・」の見方のほうがより、暖かな視線を送っています。


本のなかでも「私は優等生でもあったし、はみ出しでもあった。」と書いていますが、「劣等生だった」とは素直に書いていません。それは劣等生ではなかったのでしょう。


(つづく)


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