These foolish things

音楽を中心に新しいもの、古いものをなどMy Favaritesを。時には映画やWho's Whoなども

ちりとてちん(10)

ちりとてちん(10)
そして歴史へ

ちりとてちんの完全版のほか、まいご3兄弟につられて散財して総集編も買ってしまいました。
まいご3兄弟のメイキング映像もそうですが、メイキング画像の吉弥さんと遠藤CPのやりとりは、まいご本編よりも長いくらいで楽しかったです。仲の良い様子も十分に伝わり、裏方の方々の仕事も十分楽しませてもらいました。 
 
ちりとて107c 
完全版3の扇子と、メモリアルブックのプレゼントも応募しました。ついでにファミリーミーティングも。
どれか一つでもあたるといいですね。といってもメモリアルブックのプレゼント対象はほとんど持っています。

ちりとて106  
今でも、映像なしで色々な場面を思い出しているだけで、目からよだれが出てきますが。毎日の放送をリアルタイムで見ていた時とはなにかが変わってきていると感じます。本放送終了後に、本編になかったもので、新しく見たものは「まいご3兄弟」と「正平・順子のふるさと福井」くらいで、本編に関しては(当たり前ですが)、時間が止まっており、毎日放送されていたころは、生きていた登場人物のドタバタ喜劇を毎日一喜一憂して、共感したり反発したり、泣いたりしていたりすることが、今はもうできなくなっているからなのでしょう。

つまり、ちりとてちんはだんだん、私のなかで「ちゅらさん」や、「私の青空」などの好きだった連続TV小説と同じように、次第に歴史になりつつあるということなのでしょう。歴史上の人々はいくら名声が高くても現在に生きているわけではありません。決して価値が下がるわけではありませんけど。役者さんもスタッフも国友さんも、クランクアップした作品には留まれないのが当たり前で、(チームも解散し、セットも直ぐに解体されるでしょうから)、作品から得たものを糧にしてさらに次の作品に全力投球するのでしょうから。そういう点では「スウィングガールズ」は異色でした。映画のプロモーションから本当のコンサートまで成功させた稀有な例だと思います。

これは、めぞん一刻で、音無響子さんが、亡くなった夫の惣一郎さんの墓前で「生きている人たちがだんだん私のなかに入ってくる、自然に忘れるときがきても許してください」と語りかける気持ちに通じるのかも知れません。

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また、下のエーラムさんのブログ記事
http://plaza.rakuten.co.jp/eiram9189/diary/200808310000/
の感じと似ているかも知れません。 (下記記事の病院とは公式掲示板のことです。)

ご報告
エ〜ラムは、ついに「ちりとて病」が治りました。ええ(良い)、病院見つけました。
もう、今日でその病院は閉鎖されるみたいですが。ホンマに治って良かったです。
これで、勉強できます。

掲示板はびじゅにさんほか個人のHPやブログのほか、2ちゃんねるや公式掲示板も今でもずっと見ていますが、公式掲示板は、半ば常連さんたちの連絡掲示板と化していて違和感を覚えました。

現在は遠藤CPと、映画「檸檬のころ」つながりで谷村美月さん主演のキャットストリートを視聴しております。 映画も谷村美月さんの「ユビサキから愛を」を視聴中。「カナリア」、「天然コケコッコー」なども今後見る予定です


テーマ:ちりとてちん - ジャンル:テレビ・ラジオ

めぞん一刻(2)

めぞん一刻(2)

コミックが原作で、その後アニメ化や実写化された作品は、極一部を除いて当然ながら、オリジナルのコミック版が作者が一人で築いた世界であり、集団の作業であるアニメではやはり無理がありことが多いです。一部の例外としては「のだめカンタービレ」が原作にかなり忠実だったかと思います。
めぞん一刻も初出は成人コミック誌だったためか、一般人対象のTVアニメに登場する場合には、二人の関係にとって重要なシーンでも、TV放映上の制約などから、表現がなくなったり、ぼかされたりしているシーンが多く残念でした。

シーン1

最もなるほどと思わされたシーンは、TV画面にはないコミックのみのシーンですが、二人が初めて結ばれた次の朝の響子さんの態度でした。永い間のすれちがいがようやく決着し、気持ちや身体を含んだ全てに対して、ようやく安定した心持に落ち着くことができた状態を見事に描いていました。男性では理解できない、肝が座ったときの女性の底力のようなものを感じて、さすが女性の描くコミックならではの視点と、当時感嘆したものです。

   シーン2


当時、ご他聞にもれず、アニメ版の主題歌のサントラなどを買いあつめました。下は主題歌集の表紙です。響子さん役の島本須美さんも数曲歌っています。残念ながら、主題歌では「タッチ」の日高のり子さんには及ばないと思われます。(何の予備知識もなく、ルパン3世カリオストロの城をを見た時の詩情あふるれるストーリーとリリシズム、クラリスの声の可憐さに目を疑った記憶があります。後から宮崎監督と島本須美さんと知りました。)

めぞん主題歌 
当時島本さんが、吹き込んだWindows用の動作に用いる音源を入手して、今もスタートアップなどの音として使用しています。下記は一例です。(当時、たぶんhttp://tokeizaka.cside.tv/maison/dta.htmから頂いたと思います。ファイルはmp3に変更済みです。)

ウィンドウズを起動しますね

お仕事がんばってくだいね。


めぞん一刻

めぞん一刻

先日、テレビ朝日系列でTVドラマ「めぞん一刻」の後半部が完結編として、前日再放送された昨年放映の前半部とともに放映されました。昨年はドラマは見たものの、録画に失敗したため、今回ようやく両方そろえて見ることができました。

めぞん一刻はコミック、TVアニメ版とも当時は見逃してしまったのですが、数年前、ふと気になってコミックを一気買い(大人買い)し、その後、DVDや関連本なども次々購入して深みに嵌っていきました。お話はアパートの管理人である音無響子をめぐるラブ・ストーリーです。私も近い年代に下宿生活を送ったこともありましたが、当然のことながら、当時の管理人は老夫婦であったし、ほかの下宿人とは没交渉が普通でしたので、ドラマとは大違いですが、昭和の雰囲気は通じるものがあります。

今回の実写版TVドラマは頑張っていたとおもいますが、1年前の前半と合わせても4時間程度での制限であり、コミックからアニメへの変化ではTVアニメ上での表現の制約など以外は、比較的忠実に反映していたのに比べ、ストーリーも変えられていました。

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例えば、最も感動的とおもうプロポーズシーンも泥酔した響子の父親を夜道で負ぶって帰る時から保父合格パーティでのみんなの前に変わっていました。

 IMG_0002.jpg  めぞん一刻94       

登場人物も、八神 いぶき、九条 明日菜、二階堂 望、キャバレーの支配人、マッケンロー/サラダをはじめとする犬たちなどは登場せず、これに関したエピソードは全くカットされていました。ちょうどちりとてちんの総集編を見たような印象ですが、あちらは全体のなかからシーンの抽出だったのに比べ、脚本からやりなおしですから、さらに違和感がありました。
キャストも音無響子は原作ではもっと嫉妬深い性格だったし、一刻館の住人の毒はかなり抜かれていたし。原作の何年にもわたる日々の生活での色々な感情のやりとり、すれ違いがだんだんほぶれてお互いの気持が通じていく感じは、たとえ全作を読み直さなくても片隅に残っており、ハイライトシーンだけでまとめるには無理があります。ハレの日は永いケの日の積み重ねの結果ですから。
でも、やってくれただけで感謝です。


私のお気にいりの、このドラマやちりとてちん、ちゅらさんに共通する感じとしては変人はいても悪人が登場しないことです。奇書「一刻館の思い出」によると、キャバレーのマスターや六本木朱美は人生の辛酸をなめてきただけあって、裕作と響子を見る目が実に温かい。

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名セリフ集(の一部)

裕作「お父さんにとっては、響子さん、いつまでも小さい女の子なんですよね。だけどおれにはとっては、たったひとりの女の人です。結婚してください。泣かせるようなことは絶対しません。残りの人生をおれにください」響子「ひとつだけ、約束、守って」
裕作「浮気なんか絶対しません。付き合い酒はひかえます。貧乏もなるべくしません」
響子「そんなことじゃ泣きませんよ。怒るけど。お願い、一日でいいから、あたしより長生きして。もうひとりじゃ、生きていけそうにないから
裕作「響子さん。決してひとりにはしません」

朱美「なーんもやらせないで、男を縛ろうなんちゆー根性が気にくわん」
響子「そんなこと考えてませんけど」
朱美「考えずにやってるとこがこわい。清純ぶりおって」
朱美「ろくに手も握らせない男のことで、泣くわわめくわ、どうなってんの。あんたみたいな面倒くさい女から男とるほど、あたし物好きじゃないわよ

リンク
TV朝日のサイト
http://www.tv-asahi.co.jp/ikkokukan/

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%81%9E%E3%82%93%E4%B8%80%E5%88%BB


ちりとてちん(9)

ちりとてちん(9) 
メモリアルブック 


ちりとてちんの放送も終わって、早くも4ヶ月近くたちますが、その後も完全版DVDが次々に発売されたりして、なかなか抜け出しそうにありません。最初は自分なりにお気に入りの場面を選ぼうかとも考えていたのですが、DVDを見始めると、もういけません。ほとんど全てが名シーンで選ぶなどということができません。思い出したり、新たに気がついたりして、落涙がとまらず、なかなか先に進みません。それでもうDVD3巻目が手元に届くころになっても、第2巻目の途中を視聴中です。

メモリアルブック 
先日、予約してあった、「メモリアルブック ↑」が到着しました。
巻頭の厳選名場面集で6ページにわたって写真が掲載されています。改めてB子の相手役である草々、B子と対をなすA子のドラマでの存在の大きさを思いました。3人がお互いを気遣いながら、それでいて、みんな鈍感なところもあり、相手の気持ちが読めずに葛藤を繰り返していました。名場面集はステラ5/9号の中とじ「ちりとてちんめいっぱい」にもあり、私ごときが再度トライする必要もありませんね。

メモリアルブックはあらすじやこれまでのステラの再録もありますが、それでも、番組収録中の記事を、出演者にあとからフォローしてもらうなど細かい気配りを感じました。それ以外にも細かい資料やオフショットなど、が山盛りです。
この本と、そのまえの(ちりとてちん)ステラシリーズを担当している国友さの担当を超えた熱愛ぶりに感動しました。記者が担当の仕事としてではなく、熱烈なちりとてファンが、ドラマの収録やロケの立ちあい、インタビューができる立場にいられて、番組終了後、自分でこの本を企画して実現させ、それを徹夜の連続で完成させて、届けてくれました。自分で全身全霊投球したと言える仕事が出来たとは、偉いし、羨ましい(・・・もかくありたし)。NHK本体と異なる会社の所属で、現場では部外者として振舞わなければならない場面も多くあったろうし、大組織のなかの子会社の限界もあったのでしょうが、それを熱意と行動力で壁を打破してしまいました。 国友さんに感謝!!

中とじ特集めいっぱい  

彼女(あまりの行動の破天荒ぶりに、これまで男性だと思っていました。すみなせん)の編集日誌から

<ちりとてちん>を愛するあまり、こんな末端ページまでたどりついてしまった皆さま、満を持してこんにちは。日々ヘタレ全開中、『NHKウイークリーステラ臨時増刊 ちりとてちんメモリアルブック』が発売されて忘我の境地にいる、ステラ編集部K友です。校了してからの記憶がとんとございません。燃え尽きちまったぜ、真っ白に……。そういうわけで、本日ついに『メモリアルブック』が発売になりました!
(中略)
できれば完成までの紆余曲折を、そこはかとなく感動的につづったりしてみたかったのですが、こうなると、なしくずしに完成しているように見えますね。わりと波乱万丈だったのですが、今さら「完成までにはこんな山あり谷ありだったんです!」と騒いでもリアリティーがないので、この際、そのへん割愛です。
『メモリアルブック』できました!(終わり)。
で、手元に届いた皆さま。そして、書店でお買い求めいただいた皆さま。『メモリアルブック』いかがでしたでしょうか。あ、いや、やっぱ言わないでください!!
全力投球を通り越して“全身全霊投球”した本なので、怖くて聞けません。が、勢いと愛だけはたっぷりの……というか、勢いと愛だけでできた1冊です。自分で作っておきながら「ここまでやるなよ」と引いてしまうページがある始末です。いま愛宕山か梅丈岳に登れるならば、かわらけ投げてます。「皆さんに満足していただける1冊でありますようにー!」表紙の喜代美と一緒に<ちりとてちん>の世界を振り返っていただければ幸いです。

ABC子勢ぞろい 

遠藤CPの国友さんへの賛辞。CPもBKにあって、AKの嫌がらせに耐えて感謝祭を実現するなどかなり度胸が据わっていると思います。(AKに連行されたようですが)

広報チームのしんがりを務めますのが、今この『メモリアルブック』を編集しているステラのK友さん。毎週の記事のために台本を読み込んで「きっといい写真が撮れる」というシーンにはカメラマンを送り込み、東京から大阪の収録スタジオに通って出演者に取材し、販売部の反対を押し切って?徒然亭四兄弟を表紙に抜擢し、あふれるバイタリティーと類まれなる文章力で、《ちりとて》を盛り上げてくださいました。HPなどにも載っていた「自信なし。特技なし。将来の夢なんてわかんない。悩めるへたれな女の子、落語家をめざす」という番組のキャッチコピーは、何を隠そうK友さんの発案です。「放送が終わった番組の本を出して売れるのか?」という販売部を説き伏せ、ついに『メモリアルブック』発売を勝ち取りました。もう明らかに商売抜きです(笑)。そのK友さんを上記のファン集団……てはなく、〈ちりとて〉広報チームが一丸となってバックアップし、この本が完成しました。そんな熱い人々が作ってくれた『メモリアルブック』。面白くないはずがありません。ぜひ隅々までお楽しみくださいませ。

メモリアルブックのサイト
http://www.nhk-sc.or.jp/chiritote/

 

 


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私淑した人々(2)

私淑した人々(2) 柴田 翔

大学に入学して、図書室にあった、われらの文学シリーズのうちの一巻に、高橋和己の「悲の器」(先のエントリにも書きましたが)等と共に掲載されていた、柴田翔の作品である、「されどわれらが日々」に、圧倒されました。すぐに刊行されていた同じ著者の「贈る言葉」を購入して、再度少し趣が変わっていましたが、再び魅惑されました。

柴田01
「されどわれらが日々」は60年安保の前の学生たちの種々な生き方を描いています。当時の学生たち(といっても、一部だったのでしょうが)が、ある党の圧倒的な影響力の下にあって、地下に潜ろうとして挫折するもの、主人公や登場人物たちの、それぞれの結婚相手との葛藤など、いろいろなまでの心の軌跡を描いていました。
エリートである東大生たちが、半ば約束された将来のコース(結婚相手や職業)と党へ忠誠の板ばさみにあって苦悩する話でした。今読み返してみると、70年代と異なる50年代末から60年代にかけての、ある一部の層の雰囲気が描かれているのですが、当時の学生の生き方の生硬さ、挫折、がよくわかります。しかし、登場人物が東大生、相手の女子大生が東京女子大か日本女子大などのみが対象で、将来、政界、財界など実社会でエリートとなるか、あるいは地下に潜っても農民を感化するという、やはり指導者としてのエリートになるかという選択で、選ばれたと考えている人特有の選良意識、独善の匂いを感じられます。60年当時は大学まで進学する人はかなり少なく、さらに東大にまで行く人は極く一部であって、色々考えて本を読んでも自分を疑う方向には向かわなかったのでしょう。また、時代でしょうが、長文の手紙をかいたり、はては自殺をする人が多く登場します。
でも、さすが主人公と同世代の著者です。同時代を別の世代が書いた、石川達三の「青春の蹉跌」から感じたこの世代に対して感じた敵意、違和感は、感じられませんでした。。
この本は党が非合法時代からの流れを引きずって、目指していた武装闘争のために、学生も参加させて山村工作体などを目論見、六全協で全面方針転換した、60年以前の歴史が背景にあるため、今の人が読んでも理解しがたい部分が多いと思います。

柴田02
「贈る言葉」
「されどわれらが日々」とは異なり、政治色がかなり抜けて、よく言えば少し肩の荷をおろした状態での作品と感じました。2つの小説のうち、「贈る言葉」は、大学生同士のカップルが二人の関係の進め方を巡って、次第にずれはじめ、結局お互いに、亀裂の入って絶望しかけた状態で、安宿で初めての、関係を持つに至ったが、結果として、しばらくして見かけた彼女は、以前の凛とした立ち居振る舞いから一変して、着飾っているが痛々しい精神状態に陥るという物語でした。
もう一編の「贈る言葉」もそうですが、今から思えば、女性が結婚相手と心が通じるかどうかと、煩悶、葛藤するなど、一見現代に通じるようで、見方がやはり男性側中心の視点が多いと思いました。リブやフェミニズムのかけらもないころの小説ですのが、ある程度、著者かみた女性のその時代の生き方を反映した人物像だったのでしょう。「されどわれらが日々」よりは、テーマが普遍的で読みやすいです。

柴田翔はその数年後、朝日ジャーナル1968.6.16号の巻頭で次のように書いています。

奥(注)の提出した「それからさき、何をして生きていくのか」という問いは、具体的には、大衆社会の虚妄のなかで、何をして生きて行くのかという問いである。それは、実は学生たちだけに向けられた問いではない。私たちの誰もが、何をして生きて行くのか考えざるをえない地点にいる。そこに、学生運動が、学生でない私たちに対してもっている思想的な意味がある。それは、昔は俺も純粋だったが・・・というような問題では決してない。それは私たちが、現在、毎日毎日の生活にどれだけの重みを感じているかという問いなのである。 
(中略) 
学生運動の側には、私たちに理認される必要など少しもない。私たちが非難しようが理解しようが、学生運動はそこに存在している。彼らを狂人扱いにして何かを失うのは、それによって、彼らがつきつけている思想的問題を避け、怠惰な日常を破滅へ向って、ただただ明るくなめらかに滑り落ちて行く私たちの方なのである。
注)奥浩平著 「青春の墓標」

60年代の柴田翔が70年代(というか、60年代の終わりまで)の問いかけた意味を理解し始めています。それにしても、上野千鶴子といい、柴田翔といい、みんな最後は東大の先生になるのだろう。


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テディ・ウィルソンと北村英治

北村英治とテディ・ウィルソン

NHK-FM放送で「セッション(年号)」が78年に始まったころ、ご多聞にもれず、毎週せっせとエアチェックをしておりました。当時、スウィングジャズはコンボもビックバンドスタイルも聞いており、エアッチェックの他に、レコードを聞いたり、ニュー・グレンミラー楽団などのコンサートに通っったりしておりました。コンサートではトランペットやトロンボーンをそろって回したり、ミュートで押さえたりしており、照明に金管が反射してきれいでカッコよかったで。(スウィングガールズもまねしていました。)

コンボジャズは当初、北村英治さん中心に聴いておりました。レコードはビッグ・バンドとの共演したものを含め、数多く持っていますが、ピアノのテディ・ウィルソンさんと共演したシリーズは好きですね。2人は深い友情で結ばれているようで、格段に息のあった演奏を聞かせてくれていました。テディ・ウィルソンさんは先のベニーグッドマン来日公演の放送「過去記事 http://77117c.blog118.fc2.com/blog-entry-54.html」でも古い仲間として共演していましたが、ベニーグッドマンとの音楽での結びつきと同じ感じを下記引用のように、北村英治さんのクラリネットに見出したのでしょうか。


1982年にセッション82に登場したときは、最初はテディ・ウィルソンさんがソロで「A列車で行こう」を演奏し、その後北村英治さんとデュオ、さらに一人ずつメンバーが増えていき、最後はシックステットという洒落たスタイルの構成での演奏でした。(下の画像クリックでセッション82のソロ演奏を短時間聴けます)

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Swing Special 2(ライナーノーツより抜粋)

北村から聞いた話だがテディ・ウィルソンは仕事中は一切飲まないと言う。デリケイトな運指にアルコールが少しでもマイナスに作用する事に気を使っているのだ。そのかわり、仕事が終るとグラスにスコッチのストレートをなみなみとついで一気呵成に飲みほすそうだ。それからゆっくりと食事。その時は最上のワインを飲む。食後
はブランデーとなって、ベッド・インの直前はリキュールでしめくくる。優雅な酒の飲み方の典型的な見本である。このテディ・ウィルソンの北村への愛情は計り知れないものがある。スイング・ピアノの第一人者として典雅さと優美さで最高の名声を欲しいままにした稀代の名ピアニストは、日本へ来て北村と一緒にスイングする事を人生の喜びと言っている。彼が北村に対してあたえた讃辞の一つに゛英治はグッドマンと一緒にスイングするよりずっと楽しい″と言うのがある。1930年代を通じて、ジャズの分野はもち論、世界中のあらゆるカクティル・ピアニストにまで影響を及ぼした、この偉大な先覚者が東洋の一人のクラリネット吹きにぞっこん参っているサマは何ともほほえましいのだ。

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Groovi' with Teddy Wilson
(私のHNの由来となったアルバムです。)

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LIve sessin Teddy & Eiji
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もっとあると思いますが、探しだせません。アマゾンを見ると二人で多くのレコードを出していますね。見かけたものも多いです。そういえば、また、セッション・・・はやっているのですね。伊藤君子などという、懐かしい歌手の名前を見つけました。 


おまけです。


スクラップブックから 「イエスの方舟」

スクラップブックから (イエスの方舟)

ちりととてちん完全版DVD1が到着してから、ずっと、またちりとてちんの世界に浸っています。DVDを見始める前は第1集でお気に入りのシーンをまとめようかとも思っていましたが、実際に見始めると全てのシーンが意味深く、「ぎょうさん笑え」の教えに反して、最初から最後まで泣き通してしまい、特定のシーンを選択して取り上げることは困難だと判りました。初回ちかくのころなのでキャストが回を追って次々登場していますが、皆生身の人物が出てきたのかと見まがうほど、生きています。あらすじが予め判っていても、新しい人が登場するたび、この人物が主人公かと思ってしまうほどです。そのなかでも和久井映見さんの「おかあちゃん」はすごい。すぐ後ろ向きになる喜代美を徹底的に信じて、裏方に回りながらいつも成長を見守っています。

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和田家の家族、徒然亭の弟子たち(家族同然)の濃密なお互いの関係を見ていて、下記の千石イエスさんのことを思いだしました。東京大学法学部出身のエリート幹部を父に持った娘が、「全ての希望を受け入れてくれる両親を持ち何不自由なく育ったが、私は幸せではなかった」ように、色々な境遇で自分の居場所をなくした人たちが、千石イエスの元に居所を求めたのです。ちりとてちんのような、濃いが、お互いに相手のことを考えられる(擬似を含めた)家族関係、人間関係を持てなくなり、放り出された人々の側に立った1マスコミ(サンデー毎日)が他のマスコミの集中砲火を浴びても、この稀有な原始的な宗教集団を守りました。アグネスバッシングを思いだしました。

 


 

現代の精神混迷を投影(2001.12.14 毎日新聞)

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「イエスの方舟(はこぶね)」を奇怪な邪教集団としたのは警察と一部メディアが描いた幻影だった。21年前、「サンデー毎日」編集長として、私はその事実を明かし、中心人物、干石剛賢氏と出会った。家出女性を合む26人の男女は、なぜ家族より社会より大切なものとして、彼の周りに集い、非社会的なコミューンを結成していったのか。宗教法人ではない。聖書を中心とした地味な活動にすぎない。しかし、メンバー全員が生活を共にしながら生きる形は、価値観、道徳観を共にした疑似家族としての原始共同体であり、これが秘密をとくカギと見えた。
現在に至るまで、26人のメンバーは一人も減っていない。数年前、新しく3人の女性を加えている。今も全員が共同生活だ。メンバーはあのころも今も千石氏を「おっちゃん」と呼んでいる。家庭崩壊、親子の不信、企業社会からのドロップアウト。干石氏の周りに集まる人々には、現実社会に安堵(あんど)の場を失ったという共通項があった。あなたは、千石氏のどこに、心の救いを得たのか?」。メンバー全員に私はず、カリスマ的なリーダーが存在し、構成員はピラミッド型を形成する。しかし、「イエスの方舟」の場合、メンバーの□を僣りれば「私たちが『おっちゃん』を中心に同心円をつくっているというのだ。関西弁、やや乱暴な□ぶり。俗っぽさ。その庶民性、日常性、凡俗さこそが、干石氏の存在惑を強固なものにしている。

2年間メンバーとともに、世間の糾弾を受けながら身を隠し、私たちがイエスの方舟」の存在を世闇にさらした時、多くの作家、評論家が、現代において稀有(けう)に思える干石氏の宗教的求心力に関心を持った。
例えば野坂昭則氏は「戦後闇市時代のお助けじいさん」と呼んだ。千石氏は軍隊経験のあと戦後関もなく関西地方で歯ブラシ、磁気バンドの街頭販売をして生き抜いている。物はないが晴れ上がった青空があるじゃないか。ある種の焼け跡時代の楽天性を千石氏は持ち続けていた。故伊丹十三氏は「現代にはいなくなった日本のおかあさんと、干石氏を評した。今の日本の母親たちは本当の母性を喪失している。昔、日本の母親は、子供が迷い、自信を失った時、大きな包容力でじっと抱きしめた。今の母親は、ただ□うるさく、がなり立てるだけだ。
伊丹氏は「イエスの方舟」の家出女性たちの悩みに接する干石氏の姿から、現代人が見失ったものを鋭敏に感じ取り、一時、映画化を考えていた。
私は毎年のように博多を訪ね、千石氏やメンバーだちと会っている。千石氏が大きな怒りをぶちまけたのはオウム真理教事件だった。「人を殺す者が、宗教者であるはずはない」。彼は2度、テレビ番組に生出演し、激しい怒りをぶっつけ、オウム真理数の報復を恐れた警察が身辺警護をしたこともあった。2年前、訪ねた時に、人生相談があれば夜でもジャンパー姿でバイクに乗り、出かけるという話を聞いた。もともと、心筋こうそくと
いう持病を抱えながら「世間さまへのお返しですよ」と笑っていた姿を思い出している。同心円の中心人物を失って、この輪の中の人たちがどう生きていくのか。現代人が抱える混迷した精神風景を凝縮した形で投影していたイエスの方舟」のあすは見えない。(帝京平成大教授)


千石剛賢さん死去 イエスの方舟を主宰 78歳
(訃報記事)

聖書研究を核とした信仰グループ「イエスの方舟(はこぶね)」主宰で、女性会員と集団失跡などしか干石剛健(せんごく・だけよし)さんの死亡届が12日、居住地の福岡県古賀市役所に出されていた。78歳だった。死因などは不明。兵庫県生まれ。1952年から大阪の聖書研究会へ通い始め、60年に東京で極東キリスト集会を開き、信者と共同生活を始めた。75年に「イエスの方舟」と改称。若い女性会員の家出が続き、78年に「娘を返せ」と迫る家族から逃れるように東京を離れた。2年2ヵ月に鉛Jった逃亡生活を続けてマスコミで話題になり、干石イエスと称されるようになり、信者からは「おっちゃん」と呼ばれた。千石さんは名誉棄損容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。80年12月、福岡市に布教の拠点を移し、博多区中洲で集会所を兼ねたクラブ「シオンの娘」を営業して共同生活を続けていた。

イエスの方舟(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「イエスの方舟」漂流後の二十年
http://home.att.ne.jp/sigma/satocantik/colum/200101.html

 


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スクラップブックから(役所は・・・)

スクラップブックから(役所は・・・)

2年前に下の小さなコラムを読んで、この判決を下した地裁判事とこれを「役所は人が生きるためにある。」と受け取って評価したコラム著者の心を思い感涙にむせびました。この判決は高裁でくつがえされ、テントはすぐに強制撤去されました。民法772条問題(*)など、社会の安寧秩序や醇風美俗を最重要視し、生身の人間の立場に想いを至らせられない人々の多いことは、容易に信じることができません。

近事片々(2006.01.28 毎日新聞)
ホームレスではない。ホームなのだ。大阪地裁が「テントの所在地は生活の本拠としての実体を備えており、住民基本台帳法の住所と認められる」との判断。判例としての確定は今後を待つとしても、生きる人間として共感がある。行政は困惑するだろう。しかし、住所がないために行政サービスから除外されている人々が、確かに存在する。日本人として基本的人権が保障されている、にもかかわらずである。住所、氏名の確認は行政サービス提供の前提だ。しかし、それが明らかになれば生活が破たんする人々がいる。人は役所の手続きのために生きるのではない。役所は人が生きるためにある。
(*)離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子と推定する規定

オスロプロセスも然り。ニュースで見た会議場は狭くて、すし詰めの教室のようでした。ようはその組織、それを構成する人の立ち位置がどこに基盤を置いているかということなのでしょう。さしずめ、CCW(特定通常兵器使用禁止制限条約締結国会議)は「会議は踊る」に過ぎず。

憂楽帳(2008.5.30 毎日新聞)
クラスター爆弾禁止条約作りを進める軍縮交渉「オスロ・プロセス」のダブリン会議は、ダブリン市内の競技場で聞かれている。サッカー国家代表の試合が開かれる、東京でいえば国立競技場のような場所だ。もともと国際会議を聞くための施設ではない。地元の人は「100カ国以上も集まる国際会議は前例がなくて、専用施設などないんだよ」と少し恥ずかしそうだった。確かに、本会議場になっているメーンスタンド裏の細長いホールは、公民館の集会場を一回り広くしたくらいの広さしかない。ぎっしりと、すき間なくテーブルが並べられた会場で、約500人の代表団は、隣の国と肩をぶっけるように座っている。あまり快適な環境とは言えなそうだ。でも、各国はここで、クラスター爆弾の禁止条約作りという難しい交渉をまとめあげた。ジュネーブにある国連の立派な会議場で、何年かけてもできなかった条約だ。会場が交渉の質を左右するわけではないことを、改めて教えられた気がする。

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つげ 義春

つげ 義春

つげ 義春さんは、それまでにも、雑誌「ガロ」に時々掲載されていた紅い花、海辺の叙景など、一味かわった叙情あふれる作品などを書いていましたので、気になっていましたが、1968年に発売された作品集にあった書き下ろしの「ねじ式jには、得体のしれない異様な迫力を感じました。

ガロ 「つげ義春作品集(1968.5)」

つげ義春特集号(1968) ねじ式

いろいろ、穿った解釈をする人も多いようですが、「夢日記」など本人の文によれば、たぶん、大原への旅行で出合ったことを下敷きにした上で、さらに、夢の中での出来事のように脚色して書いたと思われますが、この内容を紡ぎ出せるのは普通の才能ではないと思います。それから今日まで色々な著作を読んでいますが、このころの作品は後期の夢そのもののような作品に比べ、ストーリーもあり、かつリリシズムにあふれた中身の濃い作品が多く、気に入っています。

 ねじ式

「無能の人」のような、自叙伝に近い作品を読むと、常に自分から引きこもってしまう、破滅的な性格であることがわかります。つげさんのような人は、居候とか食客のような非生産者を許容する度量、キャパシティが社会に無くなった現代の日本では「落ちこぼれ」、「負け組」と呼ばれ、昔の「私小説」を中心に書いていた作家のように。落伍者扱いされることでしょう。

著者は東北地方を中心に、鄙びた宿を訪ねて、それを題材にして多くの作品を残しています。つげさんが旅してたころの温泉宿は高度成長がまだ、届かないため、昔ながらの藁や萱ぶきの建物で、道路は車の必要がないため狭く、舗装していないため、穴ぼこだらけで、家々は土ぼこりで汚れていました。私の生家も当時似たようなものでした。今では法律上でも、もう建てられない、葺きなおしもできない過去のものになってしまいました。宮本 常一の本のように、古い記憶と、記録の上だけに残るのでしょう。

つげ義春とぼく

私としては色々な作品のなかでも、ゲンセンカン主人が理由はよく自分でもわかりませんがお気にいりです。

以下は権藤 晋さん「ねじ式」夜話のページ
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/nejiyawa.htm
より。

「ゲンセンカン主人」は、「ねじ式」や「ほんやら洞のべんさん」の翌月に発表された。「もっきり屋の少女」はその翌月であり、この三ヶ月は月一作以上のハイペースである。この間、作者は想像力と精神力の全面展開を試みたことになる。「ゲンセンカン主人」も「もっきり屋の少女」も、前作を完成させた後で構想されたのではない。「ゲンセンカン主人」は「ねじ式」が思い描かれたと同時であり、「もっきり屋の少女」は「方言について」の延長線上に位置していた。

つげさんに現代風のHPがあるので驚きました。(WEB構成はたぶん本人ではないでしょうけど)

公式サイト
http://www.mugendo-web.com/y_tsuge/

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5


エルヴィスがすべて

エルヴィスがすべて


外国の音楽、特に歌詞のある音楽はメッセージの意味が分からないので、一部例外を除いてはあまり聞きませんが、その数少ない例外がエルビス・プレスリーです。デビューからではなく、70年代初めに映画「エルビス・オン・ステージ」を聞いからですが、当時、そのあまりの本物さ、迫力に圧倒されました。
レコードやDVDを数枚もっているだけで、コアなファンからすればファンの内にも入らないでしょうが、まだ白人と黒人がはっきり区別されていた時代に、意図してではなく、自分内から湧き出てくるオリジナルとして融合してロックンロールを創生したプレスリーは当時とすれば秩序の破壊者だったのでしょう
。(同類にも見えるビートルズは出現当時から、なぜか好きになれませんでしたが、後に女王陛下から勲章やサーの称号を貰って有難たがるなど、叙勲を至上とする官僚と一緒で何の矜持もない、俗物であったことを暴露してしまいました。)

エルビスはあまりの存在の巨大さゆえに、ショービジネスに翻弄され、取巻きが稼ぐために不本意なステージを押し付けられたこともあったようで、ショーの出来にも波があると思いますが、興がのってきた時のステージは神がかりです。好きなアルバムである「ライブ イン メンフィウス」は自宅、グレースランド御殿のあるテネシー州メンフィスのステージの録音ですが、「ぼくは救われました。神は存在するのです。なぜなら神は愛だからです。」と語って復活した、入魂のステージです。


LP「エルビス・ライブ イン メンフィス
ライブインメンフィス

そのなかでも、2曲、解説はライナーノーツからの引用

偉大なるかな神「How Great Thou Art」

そしていよいよ圧巻はA面最後の「偉大なるかな神」。これはまさに絶唱、人魂の熱唱といえるでしょう。「ニこでもスタンプスをフィーチャーして、私の好きなゴスペルを唄おうと思います」と語って唄い出すこの曲は、最愛の母の死と入隊が重なって、除隊後もその淋しい陰が抜けず、やがてスランプに落ち入っていった1965年に、思いもかけずエルヴィスが5年ぶりに吹込んでくれたアルバムのタイトル・ナンバーだった曲です。

アメリカの祈り「An American Trilogy」

次がB面中最高の聴きものである「アメリカの祈り」です。この歌の中に出てくるディキシー・ランドとは、南部諸州をさしている言葉で、メンフィス・テネシーは、まさにその南部。したがってこニでの喚声はひときわすさまじく、それまでの女性の金切り声とはまた違う聴衆のウオーっという声が、怒濤のようなすごさで盛り上っていきます。それもそうでしょう、「南部の地こそ私が生まれたところ。ああ、私は南部に居たい、南部こそ私が生き、そして死ぬところ」と、南部が生み出した世紀の王者が、その南部で今、唄っているのですから

Youtube 「How Great Thou Art 」 LPと同じステージかも




DVD「エルビス・オン・ステージ」
当時まだ高価だったのですが、やっとの思いで購入したものの、PCの能力不足で画面が紙芝居状態しか再生できず、Hollywood+という、MPEGデコーダカードを購入してやっと見ることができました。
エルヴスオンステージ

湯川れい子著 エルヴィスがすべて

エルヴィスがすべて


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