These foolish things

音楽を中心に新しいもの、古いものをなどMy Favaritesを。時には映画やWho's Whoなども

ここは退屈迎えに来て

小説「ここは退屈迎えに来て」

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このところ評論などのノンフィクション等は手にとるものの、なぜか遠ざかっていた小説を久しぶりに読みました。ふとしたことで目に止まった、山内マリコ著「ここは退屈迎えに来て」です。田舎から東京に出てきてから数年してUターンをした物語などが中心の掌編のオムニバスでした。

はるか昔の自分を思いだしました。当時の私は現在よりずっと人や物も少なく時間が止まったような閉鎖的な地方都市にいて、焦りや渇きを感じて息が詰まりそうになっていました。高校の同級生は卒業後は東京、地元、その他の国内にほぼ1/3ずつ進みましたが、映画「檸檬のころ」で進学指導の教師が「結局田舎がいやなんでしょ」と問うたように、映画の主人公と同じように、私は大学入学を機に逃げるように都会に出奔しました。その後何回か、家業を継ぐなど故郷に帰る機会はあったのですが、結局そのままで数10年経過してしまいました。

同じように都会に出た同級生のなかには、あと何年か修行して地元に戻り開業するなど、既に具体的な将来のプランを語っていた友人もおりましたが、行き当たりばったりでいいいやと高を括っていた私は感心するとともに、そんなに自分の将来を既定のプラントして決めてしまっていいものかと思ったりしていました。

いまでも都会の片隅で暮らしている私は、結局何かわからないものを渇望していた当時から何も変わっていないのかも知れません。今では、故郷もこの小説でいう「ファスト風土」化してロードサイドには全国チェーン店や巨大ショピングセンターがある、地方でも都市近郊でも変わらない、どこにでもある風景になってしまっています。大都会にいても○○劇場や**ヒルズに行くわけでもないのだから何が違うのだろうかと思います。

小説は身につまされる話もあって面白かったの、で読み返したり著者の他の作品を読んで見ようかとおもいます。ふと、故郷に残ったり、戻った友人達は私のことを、寺山修司の有名な短歌「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」のように思っていたのかとも考えました。




寺尾聰ライブ

寺尾聰ライブ



WOWOWで寺尾聰さんの2016 The Precious Live Tokyoをやっていた。昔、キーボードのレッスンに通っていたころ、アルバム「Reflections」をすごくの気にいったこともあり、アルバム中の一曲「北ウィング」をアレンジしてグレード試験で使ったこともあって懐かしかった。出航(SASURAI)や喜望峰も良く聴いていた。ライブの背景のビル街もずいぶんお洒落だと思ったら、書き割りではなくどうやら本物のようだ。仕事で六本木に行くことはあるがディナーショーは流石に縁がない。


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WOWOWでは他にも時々懐かしい人のライブを放映してくれるので、録画して繰り返しみている。写真は鬼束ちひろさんのライブでの「流星群」。
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他にも、小椋 佳さんの生前葬コンサートでの「少しは私に愛を下さい」など。30年くらい前に放映された、俺たちの旅10年目の再会 では小椋 佳さんの曲が多く使われていたけれど、なかでもバックに流れていたこの曲を聞くと今も涙腺が緩む。
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みんな、年代や生きてきた道も違うけれど、今日でもこうしてステージに立てている姿に元気を貰える。

ヤビツ峠再訪

ヤビツ峠再訪


1980年代、たぶん85-86年頃に一度だけヤビツ峠を訪れていた。当時はまだようやく若葉マークがとれた位の時で、予備知識もなしでマニュアル車(年代からして117クーペ)で挑戦した。1車線あるかないかのとんでもない道路で必死にハンドルを操作してこわごわなんとか通過した記憶がある。

20170904as.jpg宮ヶ瀬湖

なぜか懐かしく思えて、その後再訪しようとしたこともあったが、落石や積雪で通行止めになったりしていて足止めされていた。今回、平日に休みが取れたので再び訪れてみた。宮ヶ瀬湖に行き裏ヤビツから走り出した。ヤビツ峠の道の記憶はほとんどなく、道らしい道でなく舗装もない獣道のようなところだったような気がしていた。実際はさすがにそれほど酷い道ではなかったけど、クルマ台くらいの幅しかなく、すれ違いができないようなブラインドコーナーだらけの大変な道だった。ヤビツ峠まで出会った対向車はほんの数台で助かったが、それでもギリギリのすれ違いを余儀なくされた。そんな道が20km近く続いてやっと峠に着いた。

20170904bs.jpg裏ヤビツ入り口

20170904cs.jpg細い道

20170904es.jpgヤビツ峠

20170904ds.jpg展望台からの眺め

表ヤビツを通り、伊勢原に降りてきた。数十年来の憧憬の地だったヤビツ峠だがもう行かないか、あるいは行けないかもしれない。

過去の記事






コード・ブルー

コード・ブルー


第3シーズンをリアルタイムで見ながら、並行して第1,2シーズンをFODで全話を見終わりました。改めて過去の2シーズンのレベルの高さに驚きました。

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4人のドクターヘリー搭乗候補生たちのフェロー達は、フライトドクターとしての経験や技量が伴わず、重傷の患者を前に立ちすくんだり、迷って失敗したと挫折を繰り返していました。それでも意欲と責任感を失わず、同僚に遅れていつになってもヘリに乗れない藤川が、今自分にできることをすると他の病院に送りだす手続きを真摯に取り組んでいたり、緋山も脳死の子供を最後に抱きしめてあげたいという母親の気持ちに寄り添って死亡確認と同じ意味を持つ同意書のサインを依頼させなかったため、裁判で訴えられて絶望の淵に追い込まれたした時でも、常に真摯に取り組む姿勢を持っていました。冴島ナースも黒田先生と同様にフェロー達を厳しく、愛情を持って接していました。

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ドラマではあるけど、ドクターヘリに限らず、三次救急救急の現場の様子は一般人の想像を超えたところであると思いました。まだ経験の浅いフェロー達が生死の境をさまよう病人や正視に堪えないケガ人を限られた人と設備で救えるかを決めるトリアージや手足を切断して命を救う厳しい状況に置かれて次第に医者としても人間としても成長していくさまを毎回息が止まる思いで見ていました。

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それだけに第3シーズンで未熟というより幼稚なフェロー達を登場させたり、あの緋山をして患者に入れ込んでしまうキャラクターにしたりしているのは残念。コード・ブルーはこんな浅薄なドラマでは無かったはずです。緋山、藤川、冴島はとりわけ好きだったのに。

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卒「西原」

卒「西原」


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先に卒母宣言をして毎日かあさんを終了した西原理恵子さん。毎日かあさんがスタートする前から呼んでいたので読者歴もかれこれ20年近くなった。新聞の本紙で連載を始めると聞いたときには「毎日新聞も太っ腹、でも大丈夫かな」などと思ったりもした。

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それが打切られることもなく、ずっと続いて自分から卒母宣言をして降板することにした。これを期に理由は自分でもはっきりしないけど、私もそろそろ潮時だと感じてお西原の世界から徐々に卒業していこうと思う。嫌いになったり飽きたりしたわけではないが、母親を卒業しても家族であることに間違いはないように、これからも少し距離を置いて応援していくつもりだ。

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一番上の写真はダ・ヴィンチ2009年6月号の西原スペシャルのりえぞお女の人生すごろくの上がり場面。
毎日かあさん終了の記事はこちら




毎日かあさん終了

毎日かあさん終了



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西原理恵子が毎日新聞に連載していた毎日かあさんが6月一杯で終了するようだ。思えば2002年から2017年まで10数年の彼女の子育てを近所のおじさん、おばさんのように見守ってきたように思う。この間には鴨ちゃんとの壮絶な闘いと和解、死別、さらには高須院長との熟年再婚などが次々に起こり、さぞ波乱万丈だったと思われ、この間ほぼ一人で子育てをすることは容易ではなかったと思うけど、やっとそれが終わりつつある。

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西原は太平洋、黒潮を挟んでアジアと向き合っている土佐、高知の出身で肝っ玉が据わっているはちきんの根性を東京で長年暮らしていても失っていないように思う。おべっかは忖度といったな怯懦な根性のエリートとは正反対の位置にいる。自分が高知に生まれ、子育てをしていたらどうだったらろうかとひ弱な都会人は考えてしまう。

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子育ては大変だが、同時に親も子供によって親や人間として成長していく機会を与えられた。子供が楽しければ親は嬉しい。私も子育て中は毎日かあさん「それでいいんだよ」と何回も励まされてきたと思う。永い間おつかれさまでした。

過去記事へのリンク

毎日かあさん(1)
毎日かあさん(2)
映画「毎日かあさん」


休日はPCのメンテ(その11 こんどはレコーダ)

休日はPCのメンテ(その11 こんどはレコーダ)


普段TVはブルーレイレコーダ(Panasonic DIGA)から、パソコンモニタにHDMIで接続していたのですが、あるときから画面が突然消えたり、再度ついたりするようになってしまいました。最初は、電源オンオフや長押しなどをやっていましたが、一向に改善されません。

そこで
DIGAの2つのHDMI 出力端子を変えてみる
ディスプレイの2つのHDMI端子の入力端子を変更してみる
DIGAのHDMI出力からアダプタを介してディスプレイのDVI端子に入力する
などを試みましたが改善しませんでした。

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さらに
DIGAの2つのHDMI出力端子から別々のディスプレイに並行に出力しておくと同時に異常となる
異常になったとき、録画やダビングは中断する。録画は分割、ダビングはエラーとなる
などが分かり、素人では手に負えず修理を依頼しました。
ところが、サービスマンがチェックしている時時に限って症状が現れず、様子見となりました。

その後、LANケーブルを抜くと症状が出ず、挿しなおすとすぐに画面が消えることが判明。無線LANでも同じでした。対策としてはこれで一応終了したのですが、原因について、パナソニックのお客様相談室で再度聞いたところ
同一LAN内のWindowssパソコンの設定(プライベートネットワークの探索)とDIGAの設定がコンフリクトして問題を起こしている可能性があるため、ケーブル外しではなくDLNAかブローバンドレシーバをオフにして下さい、とのことでした。取りあえずDIGAの設定でDLNAだけを無効にしてみましたが、問題が発生しないようです。結局、2週間くらい試行錯誤しましたが、なんとか新規購入や修理などをせずにすみました。

ネットワークと画面出力の関係や、あるいは不具合か相性かは不明ですが、色々起こるものです。


休日はPCのメンテ(その10  またまた故障)

休日はPCのメンテ(その10  またまた故障)


3年近く前に組んだテレビやビデオ鑑賞用の第3PCはその後、Win8.1からWin10に無償アップグレードした位で問題なく使えていましたが、先日BRディスク再生中に画像が突然停止してしまいました。最初はディスクの不良かと思いましたが、電源ランプはつかず、OSはおろかBIOSでも認識しなくなってかなりの重症であることが判明しました。電源ケーブルやS-ATAケーブルを交換したり、繋ぎなおしても変化せず、ドライブの故障であることがはっきりしました。光学ドライブはWin3.0の時代から何十台と使ってきており、今でも別マシンではPC1台につきで2ドライブで構成していますが、本格的な故障は初めての経験でした。

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故障したLGのドライブを新しく購入した日立LGに交換したところ動作するものの時々書き込みや読み込みエラーがでるため、不良返品してパイオニア製に交換。 とりあえず正常のようです。久しぶりにケースを開けましたが、相変わらず狭いなかでごちゃごちゃしています。箱根細工のように組み直しました。


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ケース 恵安 KT-MH803
M/B MSI A88XM-E45
CPU AMD A8-6500(3.5GHz 4コア)
メモリ SanMax DDR3 PC-1600 4G*2
HDD WD WD20EZRX (2TB)
光学ドライブ LG WH14NS40K
→ BH14NS58 BL BLK
→ BDR-209BK2
O/S MS-Windows8.1 64bit
→ MS-Windows10 64bit


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組み立てた時の記事はこちらです。



休日はPCのメンテ(その9  再び故障)

休日はPCのメンテ(その9  再び故障)



PCが複数あると、故障した時の予備やバックアップが出来たり、複数の作業が並行してできたりして便利なのですが、一方常に故障やメンテの対象が増えて、しょっちゅう手入れしなくてはいけません。


うち1台が今冬になって次第に調子が悪くなっていました。

最初の状態では
1.OSがフリーズ
2.突然リセット


この状態でだましだまし使っていましたが、そのうちに本格的に不調になりました。
3.しばらく暖めないと起動しないため、BIOSで止めておいてからOS起動

ついには
4.HDDの起動順序が入れ替わる、または起動ディスクがないという
5.ディスクが読めないというエラー
6.BIOSがHDDを認識しない(現れない)
7.BIOSが起動しない

となり、深刻な事態になってしまいました。
不良の原因はCMOSの電池かM/Bか電源かと思いましたが、日付やその他のBIOSセッティングは異常なかったので、これまでの経験からたぶん電源が原因だろうと思い交換することにしました。M-ATXのM/Bとミニタワーケースですが、HDDや拡張カードを外さないと交換できなかったりしたため、作業は2-3時間かかりました。最近の電源はS-ATA用のコネクタが多くてATA用4ピン端子が少ないなどの変化がありましたが、光学ドライブや拡張カード用に周辺機器用4ピン電源も使っているため、たぶん必要だろうと拡張コネクタも同時に準備していたのでぎりぎり足りました。

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不調中にリセットや再起動を繰り返し、またディスクが読めないなどの警告もあったため、OSやディスクに異常が起きているのではないかと心配しましたが、電源交換後は問題なく起動しました。
また最古参のPCが延命してしました。そのPCでこの記事を書いています。


PC1号機の現在の構成
M2A-VM HDMI BIOS 5001β
Athon II X4 635(2.9G*4コア TDP95W)
DDR-2 2GX2
LG GGW-H20N他
ST2000DM001-1CH164 2TB+WD20EZRX 2TB
<電源>
SILENT KING-4 LW-6400H-4 400Wから
玄人志向 400WKRPW-L5-400W/80+

Radeon1250相当(オンボード)+Radeon3450


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前の電源も評判は悪くなかったのですが、電源やファンを交換してからでも数年近くたっていたので寿命だったのでしょう。OSが普通に起動して落ちないのはありがたいものです。

このPCの前の記事はこちら





逃げるは恥だが役に立つ(2)

逃げ恥(2)



3月のBlue-RayやDVDの発売まで時間があるため、少しでも空き時間が作れたら原作や録画したビデオをくりかえし観たり、ヤフーの掲示板を眺めたりしている。


それにしても逃げ恥は、これまで観てきた多くのドラマと比べられない、とんでもないドラマだった。若く色々試行錯誤していた頃に経験した、まるで、みくりさんのように地球の裏側に穴を掘って逃げ込みたくなるような気持ちやエピソードが蘇ってきて、心をグサグサ刺し抜かれているような気がする。

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平匡さんが、風見さんをイケメンだということで、「きっとあの人はこう」と決め付けて、羨望したり区別したりしていたのに対し、風見さんは相手がだれでも、その人が属する性別や年齢、ストレートであるかどうかなどによって予め偏見を持たずフラットにコミュニケーションをしようとしていた。私も10代や20代のころ、目立つ人や活発な人はそれだけで敬遠し、ドラマ初期のころの平匡さんのように自分で壁を作っていたことを思い出した。

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また、平匡さんがみくりさんに「いいですよ、平匡さんとなら・・・」と言われて逃げだしたように、過去の私はつきあってた相手が好意を持ってくれると、とたんに逃げ出したりしていた。随分立ってから、ようやく平匡さんの「生きていくのって面倒くさいんです。・・・、どっちにしても面倒くさいんだったら、一緒に居るのも手じゃないでしょうか」と言う気持ちに近づいたけど、それからも行きつ戻りつを繰り返していた。

これからも、きっとドラマ最終話のように、逃げないで相手と向かい合ってコミュニケーションをする努力をずっと続けて行かなければならないのだろうと思う。

 
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かつて音楽のレッスンから帰る途中で、心が柔らかになってなっている感覚を持ったことがあった。それと同じように、逃げ恥は、頑なになっている感情を暖め、リラックスさせてくれた。忘れていた感覚が蘇えらせてくれ、生き方を見つめ直させてくれた稀なドラマだった。




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音楽(クラシックと演歌以外)と、映画、PCの日々。古い話を含め、お気に入りを書いていきます。

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